小説

『ほら吹きの詩』辻川圭(『君死に給うこと勿れ』)

 僕はビールを飲みながら、ぼんやりと空を眺めていた。優雅に揺れる雲とは対照的に、僕の心臓は荒々しく脈打っていた。誰かに文章を読まれるというのはこんなにも恥ずかしいことなのか。この得体の知れない羞恥心は誰かに自殺現場を目撃されることや空への告白を聞かれることなど、優に凌駕していた。
 「読み終わった」
 晶子の声が聞こえると、僕の心臓は破裂しそうなほどに鼓動していた。「ど、どうだった?」と訊くと、晶子は難しい表情をした。僕はその顔から視線を逸らすように、ビールを飲んだ。
 「悪くない。けど、内容が微妙。文章はとても綺麗だし、これぞ純文学って感じなんだけど、それ止まり。純文学って如何にも文章の美しさを競う競技みたいに思われてるけど、それって結局内容ありきだからね。これじゃあ、太宰オタクの自慰行為を見せられているようなものだよ」
 晶子の表情はとても真剣だった。
 「とりあえず、僕はどうすればいいかな?」
 「んー、まあ、文章にセンスはありそうだから生かしておいてあげる。また文章を書こうと思った時は、内容を意識することだね」
 「晶子は、よく本を読んだりするのかな?何ていうか、アドバイスが凄く的確だし」
 僕が訊くと、晶子は自身あり気な表情を見せて頷いた。
 「うん。私は、本を読むのが世界で一番好きなの。世界一の読書家がそれなりに認めた文章なんだから、太宰はもっと自信を持っていいよ。作家になるには時間がかかるんだから」
 晶子はぐっと伸びをして、立ち上がった。
 「私このあと予定があるから行くね。また明日、別の文章を読ませて頂戴。私が添削してあげるから」
 「分かった」
 晶子がいなくなると、僕はその場で自身の書いた文章を読み直していた。制御出来ないほどに胸が高ぶっていた。何度も読んでいると、つい昨日まで陳腐だと思っていた文章が宝石のように輝いて見えた。僕は自然と微笑んでいた。
 誰かに文章を評価されたのは初めてだった。

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