小説

『波と波の間』村上ノエミ(『人魚塚』(新潟県上後市))

 不可思議な出来事は、日常のほんの歪みに現れる。けれども、その不可思議も、一度身に起きてしまえば、私の日常と成っていく。
 私はその日も、日本海に溶けゆく夕陽を見届け、灯籠を灯しにお宮へ出向いた。何かが違っていただろうか?その日は魚が何かに怯えたように、次々と網に飛び込んできて大漁であった。
 母も喜び、私の許嫁を家に呼ぼうと言った。私はやはり気乗りしなかったが、その件に関して私の意思など介しても徒労であり、とかく私にとっては、その日を境に起きた異世界との交わりの方が、今の世の慣わしであるように、寡でいる事が許されず、好きでもない許嫁と夫婦となり、子を儲けるのが常であろうなどという、見え透いた義務感の押し付けの方が、不自然で相容れぬものであった。小さい頃、眠る時に音色を聞こうと鈴虫を捕まえた。一匹では寂しいだろうと思い、もう一匹、籠に入れて満足していたが、今となっては籠の中に二匹鈴虫を入れ「さあ家族になりなさい」など、不自然極まりない事をしてしまった為、それの報いがきているに違いない。
 十六になって間もなく、父が海に呑まれ死んだ。そのあくる日には一人で船を出し、漁に出た。浜で網を繕っていた時に、どこからか歌が聴こえてきた。歌声を辿ると、干いた潮から現れた岩礁の裏に人影が見えた。海に浮かぶ島の後ろに沈む夕陽が、逆光して見える身体の曲線の影が、連なる山々のように神々しく、その歌声はこの世ではないどこかから響いてるようで、夢のような心地がした。私は砂に足を吸い込ませるように音を立てず、なるべく近くに寄っていった。けれども女は私には気づかず歌い続け、夕陽が完全に沈むと共に群青が広がってくると、頭から、すっと、何かを諦めたように海に落ち、姿を消した。
 私はその晩から欠かさずお宮の灯籠をつけにいき、三年の月日が経っていた。

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