小説

『そのとき、ジュネーヴでは』夏迫杏(『高瀬舟(森鴎外)』(京都))

 簡単であるということは、同時に諦めるということでもある。死にたいひとのきもちをすべて想像して汲み取って世界を望みどおりに塗り替えていくなんて、きっと無理だ。そんなことがほんとうにできるのなら、わたしの伯母も大川に飛びこむなんてことはせずに済んだとおもう。
「結局……」
 結局、はよくない、ひとにものを言う態度じゃない、と口にだしてからトミナガはうろたえた。唇を噛み、結局、が無効になるまで間をあけようと試みる。うれしい家に戻っていったワゴン車が次の送迎者を乗せて対岸の道を北上していく。キタノは妙な沈黙に耐えられなくなって、はあ、とトミナガにちゃんと聞こえるように溜め息を漏らした。
「結局、なんなん?」
 トミナガの、結局、が有効になったまま会話が続くことになり、トミナガの鼓動は一気に早くなる。これはだんまりを決めている場合ではない。
「いや、なんか」
 トミナガはとにかく口を動かしはじめる。
「こないだ、ゴダールがさ、死んだやん? 映画監督の。公的に自殺が認められるってやつで、スイスやったかな。まあ、それなりの理由はいるらしいねんけどさ。せやし、こんなとこやなくて、スイスやろ!」
 なにを口走っているのだろうとトミナガはじぶんで言っておきながら引いていた。キタノはというと、いや、スイスやろ! やないやろ、とツッコミを入れて呆れた顔をしている。世のなかには自殺が認められている国もあるのに、といったことをトミナガは切なく述べたかったというのに、これではキタノにスイスに行って死ねと言っているのと変わらない。あーあ、と差和は説得が下手なひとにがっかりし、ないわあ、帰ろ、と未鳥の号令で子どもたちはもうひとつの橋から対岸へと渡り、産むということでじぶんたちが生きることを肯定した親のもとへと帰っていった。生きてもいいという許可が生きなくてはならないという義務に変わるのはいったいいつなのだろう。小学校から不審者の相談を受けて現場にやってきた警官の武志は橋のたもとにいるふたりを見て、ただのご近所さんの立ち話なんとちゃうのと文句を垂れたくなるのをこらえながら、ふたりが橋のたもとから立ち去るのを待つ。

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