小説

『そのとき、ジュネーヴでは』夏迫杏(『高瀬舟(森鴎外)』(京都))

 文学サークルの他の部員たちはとうに小説を書くことを辞めて、新卒で入社した会社でふつうに懸命に働いている。トミナガもそうだった。だから、キタノが引け目を感じるのは当然で、トミナガが余計なことを言えば世間体に抉られていったキタノのこころにとどめを刺しかねなかった。
「おれが小説家になれへんくてもこのまま生きれてしまうってなんなん、そんなん死んでても変わらへんやん。それやったらほんまに身動きとれへんくらい辛くなる前に死んだほうがましやろ」
 せやなあ、と頷いたら自殺幇助になるんやろうか。トミナガの思考が一度は見て見ぬふりをした、めんどくさ、に支配されていく。友人の自殺をとめられるほどトミナガは優しさも情熱も正義感も持ちあわせていなかった。いっそのことキタノを西高瀬川に突き落としてその脳みそをコンクリートでかち割れば、三月四日午後三時十六分のトミナガはさっさと楽になれるのだった。けれど、キタノを死なせてしまえばいいという思想は理性で抑えこめられる程度のものでしかなかったので、もうひとつの橋からふたりの様子を伺っている差和と未鳥を殺人の目撃者にせずに済んだ。差和と未鳥は、あのひとたちは先生が言っていたようなかよわいおんなのこをつけねらうへんたいではなく、死にたいひとと説得が上手じゃなさそうなひとがただ喋っているだけだと気づきはじめていた。ふたりの事情を知らない差和と未鳥は死にたいひとのほうに死ぬなと言えばこの状況は解決するのではないかとおもっていて、それは軽率なくらいに正解だった。子どものなかにあるこの手の道徳は純粋なものであり、性善説も性悪説も知ってしまった大人がこねくりまわして考えるよりもうんと早く簡単な答えに行きつくのだ。

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