小説

『滑りたおす』香久山ゆみ(『雪女』)

 だからせめて、私は大丈夫なのだと伝えたくて、おいしいものを食べたり、映画を観たり、山登りや旅行をしたりして、父に土産話をした。私は大丈夫、一人でも楽しくやっているのだと。ねえ父さん、ついに私、一人でスケートまでしてる。
 場内に「間もなく閉館」のアナウンスが流れる。そのまま壁添いに滑ってリンクの外に出る。何周しただろう。何度も転びそうになったけれど、結局一度も転ばなかった。意外と体幹が強いのかもしれない。淡々と滑っていたつもりだけれど、じんわり汗をかいている。外は真冬だというのに。時計を確認すると、閉館15分前だ。素人がいなくなったリンクは俄かに活気づいて、皆ラストスパートで練習している。翼が生えたようなジャンプ。すごいなあ。スケート靴を脱ぐと、一時間ぶりに降り立った地上は現実感のない感じでふわふわしている。私まるで修行僧みたいにストイックに滑っていたな、と思うとおかしくなる。
 建物を出ると、風は冷たいが体はまだ熱い。スマホの連絡帳をスクロールする。ハイブランドにあえなく振られた巳野くんから、あのあと声を掛けられて連絡先を交換した。巳野くんのアイコンをタップして、削除する。口の軽い男は好きじゃない。父に似て寡黙で不器用な私だけど、父を悲しませるような人生は絶対送らない。
 夕飯は温かいものを食べることに決めて、夜道を足早に歩く。冬空に星が瞬いていた。

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