小説

『夕顔とふうせんかずら』菅野むう(『源氏物語』より「夕顔」)

 姉の夕子(ゆうこ)は今日も帰りが遅くなるらしい。
「ごめん、夜、久々の女子飲みなんだ。夕飯はパスで!」
 軽い調子であたしに告げると、早々に家を飛び出して行った。
 朝ごはんはー? と聞く間もなかった。
 夕子は外資系コンサルティング会社で営業職として働いていて、コロナの自粛期間でもなんだかんだと理由をつけて、外を飛び回っていた。妹のあたしはというと、親から遺された築40年の庭付き一戸建ての中で、毎日二人分のごはんを作り、洗濯や掃除などの家事を一手に引き受け、近所のクリニックに週4回、事務のパートに出ていた。
 あたしと夕子は二歳違いで、夕子は三十に届こうという歳だった。それでもお互い、古ぼけて修理もままならない実家から出て行こうとしないのは、都心が近いという理由だけではなく、昔から役割分担ができていて、それが二人とも心地良かったからだ。
夕子は、エネルギッシュで、その上美人だった。何か面白いことがないか、いつも好奇心で胸をふくらませて、どこへでも出かけて行く。性格が気さくで物怖じせず、誰とでも仲良くなった。
 今日、あたしは仕事が休みだったので、庭の濡れ縁に腰掛けて、歩道との境のフェンスに絡まる夕顔の蔓をぼんやり眺めていた。朽ち果てた家でうら寂しく暮らす姫が、通りかかった貴公子に夕顔の花を手折り、扇子に乗せて差し出す——あれは、何の話だったっけ。たおやかで物静かな美しい姫は、年上の恋人との関係に疲れていた貴公子を癒し、愛されるのだ。そう、『源氏物語』の「夕顔の巻」だ。光源氏は夕顔の従順で素直な優しさに惹かれる。そして、足繁く夕顔のいるあばら屋に通うようになるのだ。

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