小説

『夕顔とふうせんかずら』菅野むう(『源氏物語』より「夕顔」)

 夕子が玄と別れたのは、それからひと月後のことだった。夕子いわく、1泊2日の温泉旅行がきっかけらしい。夕子は繁忙期の激務の間を縫って無理して出かけ、体調を崩した。
 二人は宿の豪華な料理をたらふく食べ、ビールと日本酒を普段以上に飲んだ。その後、夕子はひどい腹痛に見舞われたのだ。玄は始終優しく、夜通し夕子を介抱してくれたらしい。
「いやあ、あの腹痛は、ハンパなかったね。あれは、アニサキスだったのかなあ?」
 と、夕子はあたしが作った厚揚げといんげんの煮物をつつきながら言う。
「高級旅館の出す食事で、アニサキスはないんじゃないの?」
 あたしは即座に否定してかかる。旅行以来、玄は家に来ていないし、夕子は玄について一切語らない。
「あーあ、私もそろそろ限界かなあ。転職、しようかな」
 夕子は注いだばかりの熱い味噌汁をずずっ、とすすった。
「ああ、美味しい。やっぱり、和ちゃんのごはんが一番だわ」
 うんうん、とあたしは顔をほころばせた。あたしは、おいしいものを作ることができる。ふうせんかずらの青い実が、熟して種をつけるように。
 もしかしたら、夕子と玄は、また出会うかもしれない。でも、きっと今生ではないだろう。夕子と玄につなげられた糸は、切れてしまったのだ。それでも現代の「夕顔」は、光源氏がいようといまいと、今を闊歩して生きていくのだろう。
 あたしも、なんとかやっていく。あたしに「光源氏」はいらないのだから。
 自分の夢想にふふっと笑って、あたしは炊き立てのごはんを二人分よそった。       

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