小説

『春燈夜話』九重佑絃(『幽霊飴・子育て幽霊』(京都府))

 外を覗く程度に開けられた隙間からぴったりと、何物の侵入も阻むように、あるいは、私の逃げ場も奪うように、私の目の前に女がいた。
 長く垂らした黒髪はしっとりと濡れて見えるのに白い服にかかる毛先はぱさぱさと乾いていて、深くうつむく顔はまるで窺えない。そういった話にありがちで、さも典型的な姿態だと思うのに、手を伸ばせば触れる距離でそれと対峙する気持ちの悪さに初めて脚が震えて鼓動がいやに跳ねた。肌が総毛立つ。
 ただ立ち尽くし微動だにできないまま、その禍々しいような容貌から目を逸らせず凝視するしかできないでいる目の前で、その女もまた、何も動こうとはしなかった。
 密封されたような時間だけに支配されて急速に渇いた喉がひりつくようで、唾液も嚥下できないで硬直していると、ふと私たちの目線よりも少し下から、またふやふやと声が聞こえて沈黙が破られた。無意識に、張り付いたようになっていた目をそちらへ動かす。
 女の腕の中には赤ん坊がいた。それは己を抱く腕とはまったく異なり丸々とふくよかで、みずみずしい程桃色を帯びた生命の色をして、小さな手をあてもなく動かしていた。どう見ても生きていた。
 長い間考えるということを放棄していた私の頭には過ぎる現状は、一時的に得体の知れない女への畏怖を薄めてくれるようでただぽかんと忘我の眼差しで赤ん坊を見つめた。生気もなく青黒い色をした女の腕に抱かれて、もぞもぞと規則性のない動きとともに何事ともつかぬ言語を発している。
 明らかな生命を、話しかけるでも、手を伸ばすでもなくただ眺めていた。女がどうしてとか、なぜとか、そういうところには思考が追いつかないままどうしたものかとぼんやりしていると、おもむろに、女がつと動いて反射的に身をすくめそうになった次の瞬間には、今度は私が赤ん坊を腕に抱いていた。ぎくりとする間もない出来事にまばたきも忘れた目を見張り、咄嗟に赤ん坊と女とを見る。

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