小説

『人格が入れ替わらない物語』永佑輔(『とりかへばや物語』)

 太郎の体をした花子、すなわち〈花子 in 太郎〉は男子校に登校した、登校する他なかった。兄の背中を見ながら育った影響で、花子はどうしてもサッカーをしたかった。しかし両親から与えられたものはアルトサックス教室だった。アルトサックスじゃない、アルトサックス教室だ。それでも中学高校と吹奏楽部に入らなかったのは、花子なりのサッカーをやらせろという主張だった。しかし両親は今でも彼女の気持ちを分かろうとしない。ところが男子になったのだ、〈花子 in 太郎〉になったのだ、心置きなくサッカーができるのだ。と思った矢先、この男子校にはサッカー部がないと知った。てなわけで教師に直談判し、部員を集め、部費を集め、その日のうちにサッカー部創設に漕ぎ着けた。ポジションはゴールキーパーだ。
 週末、サッカー部は初めての試合にのぞんだ。相手は全国大会常連高校。近所にある女子校の吹奏楽部が応援に駆けつけて応援曲を奏でてくれたけれど、「0−20」の惨敗。失点はすべてゴールキーパー〈花子 in 太郎〉のミスだった。結果、引責退部させられた。
応援曲を奏で終えた〈太郎 in 花子〉はサックスをしまう暇もなく部員たちから叱責された。禁止されているソロを吹きまくったせいで、気を取られたゴールキーパーがミスしたからだ。結果、引責退部させられた。
 〈花子 in 太郎〉は水飲み場で顔を洗い、涙を隠す。その隣で、〈太郎 in 花子〉も涙を隠している。二人は同時に顔を上げて、ふと互いの顔を見る。〈花子 in 太郎〉はおもむろに彼女に、ではなく彼に、ではなく彼女、ではなく彼、えーい、もうどうでもいい。とにかく顔を近づけて、そして見つめ合い、唇を重ねようとした。そのときだった。

 「授業中だよ、ボーッとしないで!」
 花子が我に返ると、目の前に教師が立っている。古文の授業中、どうやら妄想をしていたらしい。
「授業中だぞ、ボーッとすんな!」
 太郎が我に返ると、目の前に教師が立っている。古文の授業中、どうやら妄想をしていたらしい。
 花子も太郎もくだらない妄想オチだなあ、と思って自分を恥じたけれど、どういうわけか二人の右肘には階段から転げ落ちたときにできた擦り傷がある。
びゅう。風が吹いて教室のカーテンが揺れる。パラッと花子の教科書が、ペラッと太郎の教科書がめくれる。そのページは『とりかえばや物語』。男の子が女の子として育てられ、女の子が男の子として育てられるアレだ。

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