これには思わず、自動扉のガラス越しに見ていたシューヘイも中に入って来て、老職員の一挙手一投足に注目した。
ヤマさんは対局相手もいないのに、一人で将棋の駒を並べ始めた。静まり返った室内に響く、パチッ、パチッ、という小気味のよい音。
もはやタケルもシューヘイも遺恨を忘れて、老職員の近くで彼の動きをじっと見守っていた。この人は一体何をしているのか。そもそもこの人は将棋を指せたのか。どれほどの腕前なのか。そんな疑問が彼らの小さな頭を駆け巡る。
ヤマさんが相手方の歩兵を置き終えて、将棋盤の初期配置が完了した。しかしヤマさんは対局を始めなかった。相手がいないのだから当然といえば当然だが、ヤマさんはまるで将棋の名人のように盤を見据え、そのまま頑として動かなかった。
タケルもシューヘイも将棋を指したくてうずうずしていた。映画が始まる前のようなウキウキワクワクしたような感覚が、彼らの態度には滲み出ていた。
やがて口火を切ったのはタケルであった。
「オレ指していい?」
しかしヤマさんは無言のまま頭を振った。やーい断られてやんの、と内心タケルをけなすような気持ちを抱きつつ、今度はシューヘイがヤマさんに言った。
「ボクと指したいんでしょ?」
シューヘイは答えを聞く前にヤマさんの前に座ったが、ヤマさんはそれでも首を縦には振らなかった。
「だれか待ってるの?」
タケルが聞いても、ヤマさんは「いいや」と答えるばかり。
「どうして指さないの?」
今度はシューヘイが訊くと、ヤマさんは「指さないんじゃない。指せないんだ」と不思議なことを言った。
「どうして指せないの?」
「相手がいないからね」
「相手ならボクたちがいるじゃない」
「キミたちとは指したくない」