小説

『コミュニティハウス』太田純平(『笠碁』)

 彼らにとってこの場所は戦場であった。昼下がりの午後。隣の研修室では腰痛体操の集いがあって、時折ご年配の方々の笑い声が漏れて来る。ふと自動扉が開いて掲示物の紙がひらりとはためいた。入って来た和服姿のおばさんが、カウンターの老職員に会釈をして和室のほうへ消えてゆく。こちらは茶道の集まりである。
 しかし、約五千冊の蔵書に囲まれながら将棋を指している彼らにとって、外の世界のことはあまり関係が無かった。盤上没我。ただひたすら将棋の局面にのみ集中している。と、手番であったシューヘイが鋭い手つきで「4六銀」という好手を放った。とても小学6年生の指す手とは思えない素晴らしい一手だ。その実感があるのか、シューヘイは対局相手のタケルを見てニヤッとした。タケルは顔こそポーカーフェイスであったが、考えるよりも先に手が出る彼が長考しているのだから、自らの形勢が悪いことは明らかだった。
 再びコミュニティハウスの図書コーナーに静寂が流れる。シューヘイは象牙色の床に向けて足をウキウキとばたつかせている。その足の動きに合わせるかのようにタケルが唇の端を噛む。閉め切られた窓からは微かに蝉の声。人の出入りが少ないからか冷房がキンと効いている。すると、その時だ。
「待った」
「え?」
「待った!」
 タケルはそう叫ぶと、シューヘイが直前に指した銀の駒を掴んで、彼の手元に突き返した。その一手は困るから、お情けで待ってほしい。そういう意味の「待った」だった。
ところがシューヘイは譲らなかった。「待ったなし!」と自分の銀の駒を取って、再び盤上の4六の地点に叩きつけた。
「だから、待っただって!」
「いやいや、待ったなしって言ったろ?」
「この間はこっちが待ってあげただろ!?」
「この間はこの間だ!」

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