小説

『虫と男と、』宮沢早紀(『蜘蛛の恩返し』(青森県))

 ネイビーのコットンシャツに黒のパンツという出で立ちの僕がすーちゃんと並ぶと、すーちゃんの影になったような気分だった。それを声に出して言ってみたら、すーちゃんはあははと大きな声で笑った。
 作品を見ている間、僕らはほとんどしゃべらなかったが、美術館を出て近くのカフェへ入ると堰を切ったように感想を言い合い、関連する展示やアーティストをその場で調べて、今度はそれらについて語り合った。
 メッセージでやりとりをしていた時から、僕たちはアートを介して大学での専攻やアートに興味を持ったきっかけといったことを少しずつ知っていったが、実際に会ってもそれは変わらず、そのことに僕はほっとしていた。
 改まって生い立ちなんかを自ら説明するにも、どういう風に切り出すか考えるだけで照れくさかったし、すーちゃんにまつわるそうした情報を自然に引き出せる自信もなかった。すーちゃんはたぶん、それを全部分かっていて、またすーちゃん自身もストレートに自分の話をするのには照れくささを感じていて、だからこそ夢中になってアートの話をしていたのかもしれなかった。

 美術館や画廊へ行き、近くの店へ入る。一つの店で昼食と夕食を食べるくらい長居をして延々語り合う。そんなデートを四回ほど重ねた後、僕はすーちゃんとの関係について悩むようになった。
 僕らはどういう関係なのだろうか。付き合おうよという声かけを、男である僕の方からすべきなのだろうか。でも、ただの友達と認識されていたら? 男として見れないと言われたら? 一緒にいる時に確認することができない意気地なしの僕は、家に帰ってからその日のデートの楽しさを上書きしてしまうほどに頭を抱えるのだった。
 すーちゃんと恋人になれたら。会うたび、メッセージを送りあうたび、思いは強くなる。しかし、すーちゃんとの関係はこれまで仲良くしていた友達のそれとほとんど変わらない。楽しいのだがその先へ発展しないあの感じ。違いといえば、出会いのきっかけがマッチングアプリだったということだけだ。
 すーちゃんが僕を男として見てくれているのかどうか。怖くてなかなか聞けなかったが、危機感のようなものが僕を急き立てた。ずるずると引き延ばしていては互いに時間を無駄にしてしまう、早くしろ、と。

「すーちゃん」
 五回目のデート。レストランを出たところで意を決して声をかける僕を、すーちゃんは遮った。
「たーさん、私ね」
 たーさんのことは好きなんだけど、男としては見れない、だろうか。結婚にはいいと思うんだけど、彼氏にはちょっと、だろうか。すーちゃんが後に続ける言葉を想像して悲しい気持ちになる準備をした。先回りしておけば、浅傷で済むかもしれない。
「私ね、実はたーさんが助けてくれたセミなの」
「は?」
「お店の中に迷い込んだのを逃がしてもらった、あの時のセミなの」
 すーちゃんはいつになく真剣な表情で言い、全く考えもしなかった展開に僕はあたふたする。
「僕が助けたセミ……」

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