小説

『葡萄』白川慎二(『檸檬』梶井基次郎)

板が取り払われたそれは艶を失い、わずかに灰色がかった一枚の黒い布のようだった。もしかすると、実際に、映画のスクリーンのように布みたいなものだったのかもしれない。母親に「画面に触っちゃだめだよ」と言われたが、その気には全くなれなかった。指を画面に這わせた瞬間に、指先からだくだくと黒さが染み込んできて、自分が人の形をした影のようなものになってしまう気がしたからだ。テレビの中へ吸い込まれるのではなく、溢れ出してきたものによって、人外になってしまうと考えたのは、今思うと、いくらか奇妙なことだ。
夢の欠片が残した感触が、心の奥から過去を引きずり出す。それらはひとりでに膨らんでいく気もしたが、もしかすると、僕自身が手ずから空気を送り込んでいるのかもしれなかった。いずれにせよ、熱く濁った頭の中で、過去はもこもこと盛り上がったかと思うと、片っ端からほどけて散っていった。
そして、昨年、亡くなった祖母から聞いた話が思い起こされた。正確に言うと、祖母が語っている声そのものが耳に蘇ったのだ。

 

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