小説

『桜の精と殺人事件』日下雪(『桜の森の満開の下』(三重県鈴鹿峠))

「私、とっても怒ってるのよ。タチが悪いわ。」
「牛江がそんなに嘘ばっかり吐く奴だなんて、知らなかったわ。きっと、私達みんな同じ気持ちよ。」
 私は助けを求めて咲良の方を見やりましたが、どうしたことでしょう、彼女は群れの中にすっかりと馴染んで、隣の生徒と耳打ちなどしながら、こちらを冷たい他人事の顔で見物しているのでありました。
 私はひどく取り乱して、吃りながら必死に抗弁しましたが、何一つ効果はありません。むしろ口を開く度に針のように鋭くなる視線に耐えかねて、私はついに泣き出しました。こんなことがあり得るでしょうか。あの時もこの時も、喋っていたのは咲良一人です。それなのに、まるで皆の記憶が塗り替えられたかのように、主犯がすり替わってしまっているのです。
 始礼のチャイムが鳴り、みんな渋々自分の席に戻っていきましたが、その時生まれていたお祭り騒ぎの前に似た高揚、悪意で固く結ばれた連帯感を、私の本能は敏感に感じ取って、深く怯えていました。
 それからというもの、壮絶ないじめが始まりました。物を隠す、机に落書きをするなどは可愛い方で、面と向かって罵られたり、酷い時にはゴミバケツの中身を上からぶちまけられた事さえありました。そんな時、咲良はいつもあどけない顔でにこにこ笑ってこちらを見ておりましたが、皆の思いをいざ行動へ導いているのは、やはり彼女であるように思えてならないのでした。彼女の何気無い一言、二言が級友達を異様なまでに煽り立て、彼女はいわば悪意が凝固するための触媒でした。
 そんな咲良の気持ちが、私には全く掴めませんでした。どうしてこんな事をするのか、自分の何がいけなかったのか、同じところをぐるぐると考えて煮詰まりきった私は、ある日、理不尽に耐えかねて、彼女を屋上へと呼び出しました。
 
 来るはずも無いと思った咲良は、約束通りの時間にふわりと姿を現しました。いつの間にか季節は巡って、再び春がやって来ていました。屋上の床には一面花びらが積もって、ところどころにふかふかとした桜の溜まりを作っています。その中に佇む彼女の小さな唇は内側からほんのり色づいて、まるで桜の精のように見えました。
 まるで真意の見えないにこやかな顔に、私はつるつると滑る井戸の壁を、溺れ死にそうになりながら必死で掻く人の絶望を味わっていました。どういうことだ、と私は咲良を問い詰めました。どうして私を裏切ったのか。どうしてあんな酷いいじめに加担するのか。
「何のこと?」
 と咲良はポカンとして言いました。
「いじめなんて無いじゃない。何をそんなに怒っているの?一緒に保健室へでも行く?」
 私はかっと頭に血が上り、気付くと訳の分からないことを叫びながら、咲良を屋上のフェンスに押し付けていました。図体の大きな私に、小柄な彼女が敵う訳もありません。首元を締め上げる私の目の前をざあっと白い桜吹雪が通り、気が付くとフェンスが倒れていました。鈍い音を立てて真っ逆さまに落ちた咲良の身体は奇妙な具合に折れ曲がり、まるで糸の切れたマリオネットのようでした。
 私はガクガクと震える足で、誰もいない放課後の校庭に駆け降りました。咲良は、仰向けに横たわっていました。死んでなおその顔は美しく、まるで私に微笑みかけているかのようでした。いつかの暗室での打ち明け話を、私は思い出しました。この後に及んでなお、私は彼女が自分にだけは心を開いていたという幻想を、捨てきれずにいるのでした。私は彼女の顔の上に、そっとかがみ込みました。
 その時、咲良が長いまつ毛に縁取られた目をうっすらと開きました。私は、ぎょっとして立ちすくみました。彼女がゆっくり目を開ける数秒の間に、その顔はみるみる般若のそれに変わっていきました。口は裂け、額には醜い皺が寄り、目は歪んだ悦びにギラギラと輝いています。

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