小説

『桜の精と殺人事件』日下雪(『桜の森の満開の下』(三重県鈴鹿峠))

 と後輩がおずおず尋ねました。
「それ?それはね、蛹。」
「そうですか、あんまり綺麗に拡大してあるから、てっきり何かの花のつぼみかと思いました。」
 後輩はすっかり感心した様子で、つくづく見入っています。
「そう、そう言えばね、この間、隣の席の A があなたのこと可愛い人だって言っていたわ。」
 私は少し怪訝に思って咲良の顔を見ました。A と彼女とは、隣同士などでは無いはずでした。ところが、何気無いその言葉が、可哀そうな後輩にはてきめんだったのです。
「他に、他に何か仰っていましたか。」
「えーと、そうね……」
 恩寵をもたらすような優しい声で嘘を吐き続ける咲良の端正な横顔を、私はぼんやり見つめました。
「私、A 先輩にとっても憧れてるんです。一年のころからなんです……。」
 ぽうっと無邪気に紅潮した頬で打ち明け話を始めた後輩からふと目を逸らして、咲良は何か物言いたげに私を見やり、それからいたずらっぽく笑ったのでした。

 
 そんなことがしょっちゅうだったにも関わらず、私が彼女から離れなかったのは、彼女が私を仲間にして、全ての嘘の手品の仕組みを、その裏側からいつもこっそり見せてくれたからでした。騙された哀れな級友達のことを、二人きりになってから、咲良はくつくつ
 楽しげに笑いました。そうすると私は、後ろめたさもありながら、共犯者になれた快感も伴って、やっぱり一緒に笑ってしまうのでした。
 どうやったらそんなに上手く嘘が吐けるのか、と私は一度彼女に聞いたことがありました。写真を現像している最中、真っ暗な暗室の中でのことで、辺りには現像液の酸っぱい匂いが立ち込めていました。彼女は端整な顔にうっすら笑みを浮かべて、何気無くこう答
えました。
「何か別のことを考えるのよ、嘘を吐く時には。」
 訝しんだ私に、彼女は教え諭すように続けました。灯り取り用の赤橙色のランプに咲良の黒髪が照らされて、緑がかって光って見えました。
「問題なのは、自意識なのよ。大抵の人は、嘘を吐いている自分を意識しすぎてしまって、それで失敗するの。だから、その分の意識を別のところに向けるのよ。左手の小指のマニキュアが剥がれかけていることとか、今日の生理の具合とか、相手の鼻の下の長さとかね。
 どんな嘘を吐くかは決まっているのだから、それでもすらすらと行くわ。そして、そっちの方が、余程自然に見えるのよ。」
 淡々と語る咲良はどこかいつもより気配が希薄で、私はふっと息苦しさに襲われました。暗室の隅には何十年も前の文化祭のポスターや写真の束が捨てられないまま山になって、濃い影を形作っています。ひょっとしたら、このまま一生ここから出られなくなるのではないか……?そんな錯覚に捉われた私の心を読んだかのように、咲良は私を明るい外へと促し、そして、さっきのは二人だけの秘密よ、と笑ったのでした。
 
 
 悲劇は、突然やって来ました。ある朝いつも通り登校した私は、険しい顔をした級友達に一斉に取り囲まれてしまいました。
「ねぇ、あのこと、嘘だったんですって?」
「アレも嘘って本当?信じられない。」

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