小説

『桜の精と殺人事件』日下雪(『桜の森の満開の下』(三重県鈴鹿峠))

 私が通っておりました高等学校は、由緒正しい昔ながらの女子校でしたが、重苦しい建物やきらびやかなシャンデリア、そんなものに増して素晴らしかったのは、石畳の道を彩る見事な桜並木でございました。春になると辺り一面色づいて、風が吹く度に青空を渡っ
てゆく雲のような桜吹雪は、まるでキラキラ光って大海原を泳ぐ鰯の群でありました。
 咲良がこの学校へ転入してきたのは、丁度その時分のことですが、今となってはもう私には全てが白昼夢のようで、何が真実でどれが幻やら、一向に判らないのです。
 
 
 その日、私が薄暗い写真部の部室で一人弁当を食べておりますと、渡り廊下を向かってくる軽やかな足音が聞こえました。私はすっかり慌ててしまい、それというのも教室に友人の居ない私は、この旧号館には滅多に人が来ないことを見越して、いつもそこへひっそりと隠れていたからでした。
 私は意味も無く、地味な弁当包みを畳んだり広げたり、汚れて曇りガラスのようになった窓の外に目をやったり、そうこうするうちにカラリと引き戸が開いて、振り向くとそこには、私の見たことの無い、けれども私と同じセーラーを着た、それはそれは美しい一人の少女が立っておりました。
 真っ直ぐな長い髪が艶やかに揺れ、白い肌との対照が禍々しいばかり。小柄で華奢で、手足は折れてしまいそうに細いのです。アーモンド型の大きな黒目がちの瞳が、じっと私を見つめておりました。私はこの少女の天使のような見かけに、すっかり上がってしまいました。
「あ、あ、あのっ……何かご用でしょうかっ?」
 彼女はクスリと笑うと、小さな手で髪を弄びながら、小首を傾げるようにして、ユックリと教室の中へ入ってきました。
「あたし、写真部へ入りたいんですけれど……ここへ来れば、貴方に会えると聞いたものだから。
 あたし、貴方と仲良くなりたいわ。差し支えないかしら?」
 私は降って沸いた出来事に、もうそれが幸運とも不運とも判らず、ただ馬鹿のように首を縦に振っているのでした。
「あたしの名前は遠山咲良。あなたは?」
「牛……牛江です。牛江春果です。」
 ウシエ、というのは私の苗字でしたが、クラスメイトは誰も彼もそれを私の名前のようにして呼んでいました。愚図で大柄な自分にあてがわれた呼び名を恨めしく思いつつも、私には嫌な顔一つする勇気さえ無かったのです。
「そう、よろしくね。」
  
 
 それからというもの、咲良と私とは何をするにも一緒でした。二人でお昼を食べたり、近所の公園へ写真を撮りに出掛けたり、この綺麗な転校生にすぐに見捨てられるだろうという私の不安は、立ち消えになりました。
 けれども、ただ一つ、分かったことがありました。彼女は、酷い嘘吐きだったのです。いいえ、ウソツキ、なんてしみったれた言葉は、咲良にはふさわしく ありません。咲良は、いわば嘘を自分だけの気紛れな趣味のようにして、いつもその桜色の爪の先で弄んでいるのでありました。小さな嘘から大きな 嘘まで、彼女は絶えず虚構を作り上げ続けました。
 例えば、こんなことがありました。その日は私達二人に、大人しい後輩一人の三人で写真を互いに鑑賞しておりました。咲良は、いつも目を見張るほどよく出来た、それでいてどこかしら奇妙な趣のある写真を撮りました。モノクロのそれは光と影ばかり鮮やかで、
 言うに言われぬ美の迫力があるのでした。
「これは何ですか。」

1 2 3 4