小説

『鏡に映るもの』川瀬えいみ(『松山鏡』(新潟県松之山))

「で……でもさ、父親が謙虚なら、娘もそうだとは限らないでしょ。小学校の頃はそうだったかもしれないけど、今の真理子は、鏡ばっかり見てる自惚れ屋のナルシストよ。白雪姫の継母みたいに」
 ひどい例えだ――と、低く呟いてから、兄さんは私に問うてきた。
「おまえ、『松山鏡』の話を知っているか」
 知らない。私は首を横に振った。兄さんが、ゆっくり話し出す。
「奈良時代のことだ。一人娘を残して先立つ母親が、死の間際、娘に一枚の鏡を残すんだ。『母に会いたくなったら、この鏡の中を見なさい』と言い残して。鏡というものを知らなかった娘は、母の死後、つらい時、寂しい時に鏡を取り出し、そこに懐かしい母の面差しを見い出して、心を慰められていた――という話だ。母と娘は生き写しのように似ていたんだ」
 教職の傍ら、この地方の民話の研究をしていた真理子のお父さんは、その伝説に倣って、大学進学のために上京する娘に、小さな鏡を贈ったんだって。娘が、若くして亡くなった母親に瓜二つの少女に育っていたから。
「これまで何かと行き届かず、済まなかった。今のおまえは、お母さんそっくりだ。つらいことがあったら、鏡を見て、『ここにお母さんがいて、見守ってくれている』と思いなさい」
 そう言って。
 真理子のお父さんは、
「ついでに、もう少し、身だしなみに気を遣うように――とは言えなくて」
 と、こっそり兄さんに耳打ちしたらしい。

 それで、真理子には、つらい時、悲しい時、鏡を見る癖がついちゃったんだって。鏡の中のお母さんに励まされ慰められながら、真理子はこれまで頑張ってきた。
 真理子は、白雪姫の継母なんかじゃなかった。そうじゃなくて、亡くなった母を慕う辺地の純朴な村娘だったんだ――。
「真理子は心配してたよ。小学校中学校とクラスの女王様だったおまえに、みすぼらしい義姉は嫌だと拒絶されたらどうしよう――と。おまえと同級生だったことは隠しておいてほしいと頼まれていた」
「え……」
 私は、真理子がかつての同級生に気付いていないと思い込んで安心しつつ、忘れられていることに苛立ってもいたけど、真理子は気付いてたんだ。最初から。
 子どもの頃、私が我儘な女王様でいられたのは、娘の身だしなみを気遣ってくれる母親と、家族に不自由のない暮らしをさせてくれる父親がいたからだよ。ただそれだけだったのに。
「真理子は強くて優しいひとだよ」
 兄さんにそんなふうに諭されて――私は、二人の結婚に反対し続けることができなくなった。

 兄さんと真理子は、秋に式を挙げた。
 ウェディングドレスじゃなく白無垢にしたのは、懐剣袋の中に、守り刀の代わりにお父さんから贈られた鏡を忍ばせたかったからなんだって。
 純白の清らかさと、鮮やかな紅葉の雅。
 実際に見る前から綺麗なのはわかってたけど、人前で見とれるのも悔しかったから、私は控え室に一人でいる真理子の盗み見を企んだ。
 それで、見ちゃったの。
 控え室の姿見に映る自分に、「お母さん。これまで見守っていてくれてありがとう」って話しかけてる真理子の姿を。
 私、どっと涙があふれてきた。
 私はこれまで、何もかもに恵まれすぎていて、いろんなことに気付かずにいた。自分の幸運にも、人のつらさや優しさにも。
 私、心底から、そう思ったんだ。

 思いがけない人生の逆転劇に、やられ役として出演できたのは幸運だったと、私は今では天の采配に感謝してる。
 真理子義姉さんともうまくやれてるよ。

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