「お出掛けですか? 降りは弱まりましたが、これから少し吹雪くかも知れません。お気を付け下さいまし」
しおらしい笑顔で送り出す彼女に対して、何処へ行くのか聞かないんだと思うのは自己愛もいい所だと、そう自分が嫌になる思い。
外に出ると改めて近隣に民家等が少ないと知る。人通りなんてない。開かれてると感じても見える雪原は全て畑なんだろう。
言われた通り雪は小降り。ビーズの様に小さな白く浮く玉がちらちら舞うだけ。
それを見上げながらついつい感じてしまう。私、ここに何を求めて来たんだろうかと。
幼い頃で思い出らしい記憶は殆どない。
もしかしたら思い出したくないからかも。
唯一雪を見る度に甦る。それはサッちゃんのリンゴ頬の笑顔。
強烈な印象だったからも知れない。あんなに底抜けに明るい性格。考えれば彼女の生来を想像できるくらい大人になった自分だと。
何であんなに笑顔でいられるんだろうと不思議に思えて。
笑う事を忘れた今の私と重ね合わせて、切なくなる様に胸が温かくなるんだ。
「サッちゃん、二人じゃ危ないって怒られるよ」
不安で白い息を更に白くする私に、サッちゃんは笑って言う。
「そんな奥深いまでいかんと。ちょっとすそまでや。怖くない、怖くない」
小雪舞う昼下がり。何処までも続く雪原を走りに行こうとサッちゃんが言い出して。
最初は喜び勇んで一緒に飛び出したものの、弱くても深々と降る雪。騒いだ声も受け止めてしまう静寂な山肌。不安になって当然。ここまで来たら一人では怖くて戻れない山村奥。
膝まで包みそうな雪の上。急にサッちゃんがもっさもさと小走りし出す。何か雪の上で見つけたんだ。
「なにあったん?」
「……穴持たずや」
そう言ってサッちゃんが指差した先の真っ新な雪原、這いずったような溝があり、中に深々と足跡が続く。
熊が歩いた跡だ。私にも直ぐに分かった。相当大きい。
「ヤバいじゃん、帰ろサッちん!」
「大丈夫や。足跡見てみ? 降った雪でだいぶ消されとる。もっと前に通ったん。それにシカを追ってん、わしらは襲わん」
子供だった私が見ても、はつらつな彼女は子供に思う。でも偶に大人びた冷静さに知恵を覗かせた。
冬眠しない熊を“穴持たず”と言い、それは大好物のシカを追う為なんだと知っていたり。
育てていた祖父母の影響なのか。サッちゃんは友達、親友ではなく、私にとって同い年でも“お姉ちゃん”と頼れる存在だったかも。
気持辛くなった時、ふと彼女の袖を掴んで縋っていた。それだけで不安は雪の様に溶けてくれる。
今、私が見渡す限りの景色は当時と似ている。
穢れなく、雑音を吸い取ってしまう雪原。耳鳴りのない静寂は穏やかであり、そして恐ろしさもちゃんとあった。
同化してしまった空から慎ましく来る雪。少し、強まった。
その恐ろしさが思い出させてくれた。ううん、それも強まったんだ。
私はサッちゃんに逢いに来たかったんだと。