小説

『踏んだペンギンは誰』白石睦月(『パンをふんだ娘』)

 まっ黄色のケーキを見て思わず笑った。十年以上ママが上質な贈り物をしているのに、この女はまだサツマイモと栗の違いが判らないのだろうか。笑みを良い意味に取ったらしく、座卓の向かいのフォークが動く。九歳まではモンブランを黄色だけと思っていた。誕生日にいつもねだっていた。でも今の私のモンブランの色は違う。喉が渇いたので飲んだコーヒーはペットボトルの味のする微糖だった。
「……どうして引っ越さないんですか。パパがマンションを用意するって、ずっと言ってるのに」
「これ以上良くして頂く訳にはいかないわ。何よりここには幸子との思い出が詰まってるもの。柱にペンで引いた背の高さとか、壁に描いた動物の絵とか」
 ハハの笑顔が苛々を募らせていく。こんなところ来たくないのよ。パパとママの手前、会いにきているけど、いい加減ウンザリなのよ。そしたら更にウンザリが追加された。
「はい、今回はペンギン」
 編みぐるみだ。紺と白の体、黒ボタンの目、にっこり笑った口元。趣味なのか知らないけど、会うたび猫やら犬やら渡してくる。
「そうだ、幸子が結婚する時には、花嫁と花婿の編みぐるみを作ってあげるね」
 ゾッとした。冗談じゃない。結婚式に出席するつもり? 晴れの舞台がめちゃくちゃになるのが目に見える。私は用事を思い出したと言ってアパートを出た。通りでタクシーを拾って急いで白金台に帰った。

 自室のクローゼットの奥から大きな紙袋を取り出した。パパとママは留守だった。最初からパパとママが両親だったら良かった。ダニにやられたらしく、無意識にかきむしった太ももが真っ赤になっていた。
 リビングの暖炉に薪を入れ、点火した。冷房の設定は強なのに赤々と燃え始める。あまりのアンバランスに笑えた。猫を炎に放った。黄色の毛糸が燃えた。犬も放った。茶色の毛糸が燃えた。バイオエタノール式だから燃やしても空気は汚れない。汚れないと思ったらまた笑えてきて、紙袋の中のクマうさぎサルぶたライオンなどを大きな炉へ投げ入れ続けた。なんで律儀に取っておいたんだろう。こんな物さっさと処分すればよかった。結婚式? 参観日みたいな気持ちにさせたいわけ? 
燃えろ。全ての糸を断ち切ってしまえ。
 最後にペンギンを放った。でも焦げるだけだった。さすがに一気に燃やし過ぎてしまっただろうか。火かき棒で勢いのある炎に近づけても、ペンギンは多少変形するだけだった。まるで執念のように。
 埒が明かない。苛々が頂点に達し、火傷をするのも厭わずペンギンを拾った。裸足でリビングから庭の芝生に下り、睡蓮の咲く池に投げ入れるとしぶきが飛び散った。しかし軽いペンギンは一瞬沈んだだけで、すぐプカリと水面に浮かんだ。楽しく泳いでいるように見えた。
 気づいたらペンギンを踏んでいた。水をたっぷり吸わせて沈めてやる。グイグイ踏んでいたら、私はあっとバランスを崩して池に落ちた。フェラガモのワンピースが。下着までずぶ濡れ。ペンギンは薄紅色の睡蓮のそばで浮かんでいる。私は右足をふり下ろした。さらに左足でトドメをさすように踏みつけた。澄んだ池の底で窒息していくペンギンと目が合った途端、水中に引きずり込まれた。

 意識が戻った時、あの大嫌いなスカイブルーに囲まれていた。ぶ厚いガラスの向こうにハハが立ってた。ペンギンを抱いていた。今日渡してきた物じゃない。スカイブルーの毛糸の編みぐるみだった。

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