枡山さんに連れられたのは図書館の地下だった。書庫と呼ばれるこの場所には面白い小説も流行りの雑誌も置かれていない。図書館内の専門書では飽き足らない「通」ぐらいしか出入りしないこの場所を選んだのは、朔が想像しているであろう淡い青春の類でないと断言しているも同然だ。枡山さんが仮に僕に気があるのなら、噂通りの柔らかな雰囲気をまとっているに違いない。今目の前にいる枡山さんからはそんなものを微塵も感じ取れないのだから、何か別件で、僕以外にはあまり聞かれたくない用があるんだろう。
「ごめんなさい、いきなり呼び出して……教育学部の枡山ハルカです。遥かな風、って書いて、遥風です」
「……文学部の緋山勇太朗です」
「うん、知ってる。うちら同い年だから敬語は省くね」
少しだけ歯を見せた枡山さんは予想通りの可愛らしさだったけど、まだそこに柔らかさはなかった。所詮、噂は噂なのだろうか。
「単刀直入でごめん、カチカチ山って知ってるよね?」
知っているどころか夢でウサギに扮しているんだ、という言葉を飲み込んで頷いた。初対面の人にそんなことをペラペラ話せるほどフランクではない。
「私、あなたのことを夢に見る」
「…………夢?」
「一度じゃなくて何回も。高校生の時からずっと、夢に見ては魘されて起きる。あなたはウサギで、私はタヌキ。でも勘違いしないでね、ウサギに懲らしめられるタヌキは私じゃない」
突拍子もない言葉が次々出てくるのに理解できてしまうのは僕も同じ夢を見ているからだろうか。桝山さんの夢でも僕はウサギで、桝山さん自身はタヌキ。でも話を聞く限り僕が見ていたタヌキではない。
「……夢の中の私には、優しい兄と姉がいた。いつも二人の後ろに引っ付いている子供時代から始まって、いつの間にか大きくなっているの。そこには暗い表情の兄と、泣き崩れる両親がいる。姉は……もう、どこにもいなかった。姉が着ていた着物だけが、畳に置かれているんだよ」