私は狂喜して、男の子に抱きついた。鼻水がついても気にならなかった。それから毎日欠かさず、男の子に海老なますを食べさせた。願いは次々叶った。家、車、時計、家具、服、食べ物など身の回りのものはどれも一級品がそろい、仕事は上客がついて売上は右肩上がり、従業員はどんどん増えていった。若くてきれいな恋人もできた。この調子でいけば、長者番付に載ることも夢ではないように思えた。もう川沿いを散歩したり、鳥を眺めて写真を撮ったり、ごみを拾うことはしなくなった。妻が帰ってこなくてもさみしくも何ともない。むしろ若い恋人との甘い時間を邪魔されるだけだ。さらば、妻よ。さらば、昨日の俺よ。むはっ、むはははははははははははっ。
しかし、一つだけ変わらないものがあった。男の子だ。きらめく高級品や美女に囲まれていても、そばにいる男の子だけは長い鼻水を垂らして、みすぼらしいままだった。その上困ったことに、私の行くところどこにでもついてくる。仕事の商談や接待、デートにまで引っ付いて来られるのだからかなわない。それに毎日、海老なますを作って食べさせることも面倒だった。
ある晩、男の子に海老なますを食べさせ終わると、私は言った。
「坊や、これが最後のお願いや。もう出ていってくれへんか。お母さんのとこ帰り。ずっとここにおられると困るんや。最後のお願い、聞いてくれるか」
すると男の子は、悲しそうな顔をして家を出ていった。ちょっと言い過ぎたかな、と思ったが、あとは追わなかった。玄関のドアが閉まると、鼻水を啜る大きな音が家の中まで聞こえてきた。その直後、家は元の古い家にもどり、身につけていた服や時計も消えた。それだけではない。仕事はどんどん減っていき、売上は右肩下がり、従業員も次々に辞めていった。若い恋人に電話すると、「あんた、誰?頭おかしいんじゃないの」と一方的に電話を切られた。有頂天になって好き放題していた私に愛想を尽かした妻や息子たちとは、随分前に連絡は途絶えていた。
持っていたものをすべて失った私は、川の土手を歩いていた。川はいつの間にかひどく汚れ、鳥たちの姿もなかった。男の子にまた会えないだろうかという甘い期待も、見事に打ち砕かれた。そして、ふらふらとした足取りでたどり着いた先は、母の家だった。
家に上がると、母の歌声が聞こえてきた。リビングで、母は編み物をしていた。兄の姿はなかった。耳の遠い母は、私が入ってきた物音に気づいていなかった。そばに近づくと、顔を上げて私を見た。
「カズオやないか」
「わかるんか、おふくろ」
「当たり前やないの。そんな顔して、どうしたんね」
「ひどい顔してるか」
「大きくなっても洟たらしてからに。ほんまにいつまで経っても洟たれっ子やねえ、お前は」
「うん、そやな。おふく・・・・母ちゃん」
私は母の膝に顔を埋めた。何度も洟をすすりながら。