小説

『愛の天秤』尾西美菜子(『鶴の恩返し』)

私はいったい、あと何日生きられるのだろう。桶に汲んだ水に映る己の顔を見ながら、何度目かわからないことを考える。吐く息は白く、そして暖かく、少しでも暖を取ろうと薄ら白い顔を両手で覆う。はぁーと息を吹きかけると、荒れ放題の手が少しだけ蘇る気がするのは、気のせいだろうか。あかぎれだらけの指。ガサついた手の甲。見るも痛ましい我が身は、決して雪国の寒さや水仕事に負けただけではない。一本、二本と羽が抜ける度、この体は潤いを無くし、代わりに小さな傷が増えていく。いつかは真っ赤に映える晩秋の紅葉のような血を流し、この命を燃やし尽くすのだろう。まだ、少し。あと、少し。せめて一反の着物を織り上げるまでは……。そんなことを思いながら、この家の主に助けていただいた鶴である私は、今日も井戸で水を汲み、一日の始まりを迎えた。

「ツル、おはよう。今朝は一段と冷えるね」
「旦那様、おはようございます。軒先に立派な氷柱が下がっておりました。今年一番の冷え込みかもしれません」

朝餉の仕度をしながら、家の主と言葉を交わす。茶椀に白米をたんまりと盛り、香香を小皿に盛り付ける。芋をたくさん入れて煮込んだ味噌汁と共に囲炉裏の前に並べて、向かい合わせに座った。「いただきます」と手を合わせ、同時に箸に手を伸ばす。主は毎日味噌汁から口を付け、そしていつもの言葉を私に言った。「嗚呼、おいしい。ツルの作る味噌汁が、私はこの世で一番好きだ」と。その瞬間が、私は何よりも幸せで、このまま時が止まればと願わずにはいられなくなる。胸の痛みを隠すように微笑み、いつもの言葉を返した。「もったいなきお言葉です」と。

「この間の着物も、とても評判だったよ。あっという間に全て売れてしまった。次はいつ来るのかと急かされてしまったよ」

白米を口に頬張りながら、主は上機嫌で話し始める。私は、主から町の話を聞くのがとても好きだった。人間は、おもしろい。私の織った着物で人々が笑顔になる様子も、着物に合う紅や簪を買って着飾る様も、鶴の私には何もかもが新鮮で人間という生き物を知るよい教材であった。

「次は、何色の着物を織りましょうか」
「そうだなぁ。流行りの色は一通り織ってしまったからね。どうしたものか……。そうだ。桜色はどうだい?」
「桜色、とはどのような色なのでしょうか」
「おや、ツルは桜を見たことがないのかい?」
「はい」
「それは、珍しいね」
「今まで、あまり人間が好むものに触れる機会がなかったもので。桜とは、どのような生き物なのですか」
「桜はね、植物の名前だよ」
「植物ですか。では地面に生い茂るのですか」
「そうではない。大きな木でね、春になると、淡い紅色の花を咲かせるんだ」
「それは、私の故郷では見たことがありません」

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