小説

『いつまで経っても』木谷新(『はなたれ小僧様』(熊本県))

 母はいつものように編み物に夢中で、こちらには目もくれない。そもそも耳が遠いので、私と兄の会話に入ってくることはない。でも、私が「カズオ」だとわかると、必ず訊いてくることがある。
「サチちゃんは元気か?シュウタとナオヤはどうしとる?」
 サチちゃんは私の妻であり、シュウタとナオヤは息子たちのことだ。なぜか三人のことは良く覚えている。母に訊かれたら私はこう応える。
「元気や。忙しくてなかなか来られへんから、よろしく言うといてくれやと」
 嘘である。確かにシュウタは仕事で東京にいるし、ナオヤは大学に通いながら付き合っている彼女の家に入り浸り、ほとんど家には帰ってこないので忙しいというのは間違っていない。でも、サチちゃんこと私の妻は、三年前に家を出ていった。離婚はしていないが、別々に暮らしている。私が母にそのことを伝えないのは、妻の頼みだからだ。出ていくとき、妻は言った。
「お義母さんには、うちが出ていくこと言わんといて」
「なんでやねん。お前にはもう関係ないんちゃうんか」
「そんな言い方せんでもええやないの。うちはな、お義母さんが姑で良かったって思うんよ。あんなにやさしい人を悲しませたくないんよ」
「ふん、なに勝手なこと言うとるんや」
「そやね。勝手なことかもしれん。でも、ほんまにそう思うんよ」
 母のことをそう言われて悪い気はしない。それに彼女がそこまで言うならと、私は少しばかりのやましさを感じながら、母に嘘をつき続けていた。結婚し、二人の子どもを育て、工務店の社長であり、実家に仕送りしている息子という姿を見せて。でも、内実は違う。妻は家を出ていき、二人の子どもとの会話は絶えて、戸建てや店舗のリフォームを中心に請け負ってきた自分の店は、最近では大手の電機会社が参入してきたために多くの仕事を奪われ、実家への仕送りも苦しくなってきている。そして年を重ねるごとに母の認知症は進んでいる。
 川のごみ拾いをしだしたのは、澱んでいく自分の心と川が、重なったからかもしれない。私は近くの川の土手を朝早く散歩するようになっていた。まだ町が動きだしていない時間は空気が澄んでいて、川沿いを歩きながら呼吸していると体内から浄化されていくようだった。じっとしていると、余計なことばかり考えてしまう。体を動かすのは、神経に良く作用した。

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