小説

『花子さんがいた頃』いずさや(『トイレの花子さん』)

 桂木さんは、今年入社してきた新入社員だ。私と同じ高卒採用だから、まだ十代のはず。優秀で華やかな桂木さんは、先輩や他の同期からも評判が良い。きっと、学生時代に同じクラスにいても、私は話す機会がなかったタイプの人だと思う。
 中途半端に手伝ってもかえって邪魔になってしまうので、トナーの後片付けは桂木さんにお願いして、デスクに戻った。郵便物の仕分けをしなければ。
 優秀な後輩と、誰にも期待されていない自分という事実を意識すると、その場にいるのが辛くなる。
 社会人になってから花子さんが現れてくれないのは、子供の空想は子供のものであって、いつまでも頼ろうと私が甘えすぎているというだけの話なのかもしれない。
 その日、誰に怒られたわけではないけれど、いつになく自分に嫌気が差して、トイレに入った。やっぱり、私を励ます声は聞こえない。
 いつものように、不自然じゃない程度に閉じこもって、水を流すと、個室の紙がなくなりかけていることに気付いた。
 この会社のトイレが汚れているところをあまり見たことがない。ゴミが放置されていたり、鏡が汚れていたりすることも少ない。外部の人の出入りも多く、色々な人が使うわりには、かなり綺麗に保たれているように思う。
 だから、個室の紙が減ったままになっているのは、珍しいことだった。私は、物置から三つほど新品のロールを出して、個室に置いた。
「あっ」と声がして振り返ると、桂木さんが立っていた。
 反射的に会釈して、立ち去ろうとする。
「紙、ありがとうございます」
 桂木さんが言った。私がびっくりして言葉に詰まっていると、桂木さんは個室に入ってドアを閉めてまった。
 私は、どうしてこうなってしまったんだろう。子供とはもう呼んでもらえない年になっても、未だに空想の友達にしか頼れない。
「どうして、上手く話せなくなっちゃったのかな」
 一人きりの廊下でそう呟いて、それは現実の人との話なのか、「花子さん」との話なのか、自分でも分からなくなった。
 私は、いつしか桂木さんを目で追うようになっていた。羨ましいのか、妬ましいのか。きっと、彼女のような人は個人的なシェルターなんて必要なかったし、空想の友達との会話が上手くいかなくなって悩むこともないんだろうなと思った。
 こういう、自分の卑屈さも嫌いだ。
 ある日、会社でちょっとした事件が起こった。

1 2 3 4 5