小説

『花子さんがいた頃』いずさや(『トイレの花子さん』)

 装飾品の手配を受注していた商店街の運営委員会から、装飾用のバルーンが届かないと連絡が入った。社内で確認すると、業者へ連絡していた発送日が、運営委員会から言われていた日から一日ずれていたと分かった。明日にならないと、バルーンが届かない。
 その商店街とは付き合いが長い。今回の装飾品は催事のためではなく、季節の飾りつけの為のものなので、一日の遅れであれば構わないと先方が言ってくれて、大きな問題にはならなかった。とはいえ、こちらの瑕疵だ。
 難しい手配ではなかったのに、なぜこんなトラブルが起きてしまったのか。結論から言うと、桂木さんのミスだった。彼女が、別件のスケジュール表と取り違えて業者へ連絡してしまっていたのだ。
 まだ経験の浅い職員に注文を任せて、そのフォローを怠ったのは、先輩の責任だ。誰も桂木さんを責めなかった。先方には謝罪と経緯説明の連絡を入れて、後日お詫びに伺うということで、事態は収まった。いつもしっかり者で、ミスの無い桂木さんに、皆が頼り過ぎていたのだ。それでも、桂木さんは何度も謝って、あちこちに深く頭を下げていた。
 その日の終業時間に、人が少なくなってきたことを確認して、掃除をしようとトイレに入ると、個室から、桂木さんが出てきたところだった。
「あ……」
 桂木さんが、ばつが悪そうに俯いた。目が赤く潤んで、アイシャドウも少し溶けている。
 今日のミスの件を気にしているんだと分かったが、泣くほどに落ち込んでいるとは思わなかった。
「今日は、すみませんでした」
 桂木さんが頭を下げる。私に謝る必要なんてないのに。私がどう答えていいか分からずにいると、桂木さんが言葉を続けた。
「あの、トイレ、いつも綺麗にしてくれているのって、八重島さんですよね」
 思わず、「えっ」と声が出る。
「私、落ち込むとよくトイレにこもるので、分かるんです。学校ではずっと自分で掃除してたけど、この会社に入ってからは、定期清掃以外の時間でも綺麗になってるときがあって。きっと、八重島さんだなって思ってたんです」
「どうして、そう思ったの?」
「だって、八重島さん、こういう他の人が気を配らないようなことを、いつもやっているので」
 私は、桂木さんがそんな風に私を見ていたことに、驚いた。

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