小説

『花が咲きますように』霜月透子(『花咲かじいさん』)

 氏神様である神社のお祭りで、街のそこかしこで祭り囃子が聞こえていた。御輿や山車が練り歩くのに合わせて生演奏されるもののほか、商店街のスピーカーからも流れていた。
 高校時代、ハナと行った縁日でひとつの綿菓子を食べたこと、はぐれるといけないからと口実をつけて初めて手を繋いだことなどが、蓋をしたはずの思い出の器から流れるように溢れてきた。
 はしゃぐ子どもの持つりんご飴が、僕の服に付きそうになって、慌てて避けた。何の気なしにその子の行方を目で追っていると、その先にハナがいた。僕はとっさに人混みをかき分けていた。
「ちょっとごめん」
 ハナの両肩に手をかけて半身をひねったところを子どもが走り抜けていった。
 なにが起こったかわからないであろうハナに向かって、僕はたどたどしく弁解をした。
「いきなりすみません。子どもが、りんご飴ごと衝突しそうだったので」
 ハナは少し目を見開いて、それから破顔した。「ありがとう」と友達に対するような気安い口調で言った後、慌てて「ありがとうございます」と言い直した。
 ハナは、人を避けた拍子に自分がどちらを向いているのかわからなくなって途方に暮れていたらしい。僕はそのままハナを誘導して人混みを抜けた。
 ハナは、以前にも僕の声を聞いた気がすると言った。僕は高校時代のことは伏せたまま、少し前に駅前の信号待ちで見かけたことを伝えた。
「そうだと思った」とハナは笑った。
 近所に住んでいるのかと聞かれ、そうだと答えた。否定したらこの街に来ている理由を話さなければならなくなるので、そう答えるしかなかった。
「また見かけたら声をかけてくださいね」
 僕たちは互いにハナとシロと名乗り、時々会っては話すようになった。
 ハナは暗闇にいるわけではなく、濃霧の世界にいるのだと言った。だからコントラストのはっきりしているものや暗い中で光るものなどはぼんやり滲んで見ることができるという。高校生の頃までは見えていたのよと言った口調があまりにもさらりとしていて、僕は僕であることをやめたくなった。
 謝るつもりでハナを探していたのに、僕はまたしても逃げてしまった。この街には住んでいないことやフルネームを正直に言うべきだったのだ。
 僕たちは約束通り、「見かけたら声をかける」という会い方を続けていた。実際は、僕がハナを探し出して偶然を装って声をかけていたわけだが。

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