小説

『花が咲きますように』霜月透子(『花咲かじいさん』)

 改札口を抜けると、強い日差しに目がくらんだ。街路樹では蝉がせわしく鳴いている。
 まばゆさに目が慣れると、そこには見慣れない街が広がっていた。駅前の横断歩道で信号待ちをしている間に視線を彷徨わせていると、サチが隣で笑った。
「シロくん、きょろきょろしすぎ」
「あ、いや、随分と変わったなと思ってさ」
 蝉の声に負けないように声を張ったせいか、目の前で信号待ちをしていた人の肩が小さく跳ねた。それから、思わず確かめるといった様子でこちらを向いた。突然のことに、今度は僕の肩が跳ねた。
 だけど、目が合うことはなかった。その人は、目ではなく、耳をこちらに向けていた。手には、白杖が握られている。
 白杖の人は不思議そうに小首をかしげ、青に変わった横断歩道を渡っていった。
 僕たちも歩きだしたが、僕の心だけが赤信号に立ち止まったままだった。

 
 玄関を開けると他人の家のにおいがした。大学進学以来だから十年ぶりになる。
「へぇ。ここがシロくんの実家かぁ」
 サチは物珍しそうに見回していたが、すぐに髪を束ね、袖をまくると「窓開けて換気するね」「とりあえずは掃除機かければいいよね」などと手際よく掃除を始めてくれて頼もしい。
 一階はサチに任せて、僕は二階の自室に向かった。
 ひと足ごとに床板が軋む。
 昨年、母が亡くなり、この家は僕が引き継ぐことになった。空き家でも時々風を通した方がいいとのことで、ずっと避けていたこの街に帰ってきたわけだ。
 避けていたといっても、母と不仲だったわけではない。僕が避けたかったのは、この街そのものだ。それと、一人の女性。ハナ。
 埃っぽい卒業アルバムを開けば、僕の視線は自然とハナの個人写真に吸い寄せられる。
 間違いない。信号待ちで振り向いたのは、ハナだ。
 ただ、僕の知っているハナは視力で困っている様子はなかった。眼鏡もかけてなかったし、コンタクトレンズを使っていると聞いたこともない。すると、あの事故のせいなのか。僕がこの街を……ハナを避けることになった、あの事故のせいで目も怪我をしたのだろうか。
 詮無いことで頭を抱えているうちに、いつしか日が暮れていた。何一つ掃除に手をつけていなかったことをサチに叱られつつ、その日は実家を後にした。サチの少々お節介気味な面倒見の良さが、今の僕にはありがたかった。

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