小説

『浦島君の「う」は嘘つきの「う」』不動坊多喜(『浦島太郎』)

 それから、毎夜、私は浦島君にお話をねだった。
 アラビアンナイトのシェヘラザードのように、彼は自分の体験を語ってくれた。
「年を取らないと困ることは何だと思いますか」
「えー。困ることなんてあるの? ずっと若くて美しくて、良いことずくめじゃない」
 浦島君は、寂しそうに笑った。
「1つ所に居られないことです。普通じゃないからね」
 周りはどんどん年を取るのに、一人だけいつまでも若い。そんな異常さを周囲がほっとくわけはない。
 そのため、彼は行商人になって、日本中を旅して歩いたという。
 彼が見聞きしたという話の数々は、歴史に詳しければ誰にでもできる話だったのかもしれない。けれど、私にとっては新鮮で、面白い話ばかりだった。
「それも、昭和の終わり頃まで。時代が変わって、行商もやりにくくなってきました」
 いろんなことで規制が多くなり、ホームレスの日雇い労働者が一番動きやすいのだと言う。
「じゃあ、百年以上、一人暮らしなの?」
「いえ。一度だけ、子どもと暮らしたことがあります」
「えっ! 子どもがいるの?」
 考えてもいなかった事実を突きつけられ、愕然とした。
 実は、出会ってから半年以上経つのに、彼とは何もなかったのだ。
 毎夜、私のベッドに座りお話をしてくれる。けれど、寝物語が終わったら部屋のすみに行き、リュックをかかえて眠る。
 乙姫様とはよろしくやっていたのだから、能力的には問題ないはず。ということは、遠慮しているのか、天然の草食系なのか、それとも、私に女としての魅力が足りないのか、等々。毎日頭を悩ませていたが、実は家庭があったのだ。
 浦島君は、オタオタする私の様子を微笑んで見つめ、おもむろに口を開いた。
「東京大空襲の後、焼け野原で拾った子どもです」
 家は焼け落ち家族は焼け死に、近くに頼れる人も居ないと言う。唯一、大阪に親戚が居るというので、そこまで連れて行った。
 ところが、着いてみると、そこも焼け野原。
「それで、仕方なく一緒に暮らしたのです」
 子どもは自分を自由にさせてくれない。それなのに、情が移る。やっかいな生き物です。
 戦争が終わり、1年、2年と時がたつ。子どもはどんどん大きくなる。けれど自分は変わらない。子どもが変だと思う前に、引き取り手を探さなくてはいけない。
 ようやく、大切に育ててくれそうな人が見つかったときは、安堵しました。
 うんと言わない子どもをなだめすかし、会いに来るよと約束して別れる。けれど、一度も会いに行かなかった。いや、行けなかった。自分は変わらないから。
 遠い目をする浦島君に、問わずにはいられなかった。

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