小説

『もりそばをすする間だけ』いいじま修次(『まあだまだわからん』(山口県))

 康彦がそのもりそばをすすると、同じように学食内は全ての動きが止まり、それを知った木下は満足そうにうなずいた。
「よし、じゃあそれ持って外行ってみようぜ」
「え、外行くの?」
「そりゃそうだろ。せっかくの力を学食の中だけで終わらせてどうすんだよ。このまま持って行くの厳しいから、タッパか何か借りて行くか」
 意気揚々と再び注文カウンターへ向かう木下を目で追いながら、康彦は元のもりそばの残りをすすった。
 すると、動きが止まった学食内の、カウンター向こうの厨房で、人影が一つ動いているのが康彦の目に映った。
「え……!?」
 康彦は新しいもりそばを箸で掴み、厨房を見つめながらゆっくりとすすった。
 確かに動いている人がいる――ような気がする。と、康彦は感じた。
 曖昧に感じてしまったのは、康彦の視線に気付いたその人が、横を向いて視線を逸らし、自ら動かないでいるように見えたからである。
その人は若い女性で、厨房の中年女性達と同じ作業着を身に着けている。
 女性は自分の方を見ており、自分が視線を向けると横顔を向けてしまう。
 康彦は驚きながらも何度かそばをすすり、それらを確認したが、信じられないのは女性が動いている事ではなく、その女性がそばをすすっていない間は厨房の中に存在せず、姿が消えてしまっている事であった。
「……」
 康彦は立ち上がり、カウンターに向かって歩き出した。動揺はしていたが、その女性を恐れるような表情はしていなかった。
「あれ、康彦どうした?」
お願いした持ち帰り容器をカウンターで待っていた木下は声をかけたが、康彦はそれが耳に入らないのか、女性の姿が見えた辺り――麺を茹でる大きな釜の方へ視線を向けたままでいた。
「はーい、お待たせ。これ使ってちょうだいね」と、厨房の中年女性が透明のプラケースを木下に渡し、釜の方を見つめている康彦に視線を向けた。
「こちらのお兄さんもお待たせ。注文かな?」
 康彦は少し間を空けてから、声をかけられた事に気付き、
「え……? あ、すみません。さっきあそこに――」と言いかけて言葉を止めた。
「あそこ?」
「――いえ、何でもないです。すみませんでした」

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