小説

『もりそばをすする間だけ』いいじま修次(『まあだまだわからん』(山口県))

「木下……そばが消えたように見えた理由、分かったかも知れない……」
「見えた理由?」
「えーと……あ、今持ってるそのスプーン、よく見てろよ」
 康彦はそう言うと、そばをすすりながらスプーンを取り上げたが、動きが止まっていた木下はそれに気付かず、
「――えっ、あれっ、なっ……お前いつの間にっ……?」と、自分の手から突然スプーンが無くなった事に驚いた。
 どうやらこういう事らしいと、康彦は導いた結論を説明したが、木下はとても信じられないという顔で口を開いた。
「じゃあ、俺のカレーとお前のもりそばの場所を変えられるか?」
「分かった。いくぞ」
 ズッ、ズズズーッ……と、そばをすすりながら、康彦はその要望に応えた。
「ええっマジかよっ! じゃ、じゃあ今度は、俺の後ろに来てみろよ」
 ――ズズズズズーッ……
「うおうビビったぁー! じゃあ、あそこの入口まで行けるか!?」
 ――ズズズズーッ、ゲホッゲホッ、ズッ、ズズズズズズズーッ……
 康彦が一瞬で学食の出入口まで移動したのを見た木下は、信じないわけにはいかないのかもと、複雑な顔をした。
「な、本当だろ?」と、周囲に向けて少し恥ずかしそうにしながら、そば猪口と箸を手に康彦が戻って来た。
「そうだな……一回あの辺にいるのが見えたけど、確かに時間を止めてるみたいだな……」
「むせちゃってさ。そばすすりながら歩いた事ないから。――あーあ、全然味わえないまま食べちゃったな……」と、残り僅かなもりそばを食べようとする康彦を、木下は慌てて制した。
「あー、お前それ全部食うなよ! もう出来なくなっちゃうかも知れないだろうが!」
「また注文すればいいんじゃないの?」
「それだけが魔法のもりそばかも知れないだろ。ちょっと試しに俺にもやらせてみろよ」
 木下はそう言うと、大切そうにそばを少しだけすすってみたが、特に何も起きなかった。
「……俺じゃ駄目みたいだな。よし、じゃあもう一つ注文するから試してみろよ」
「俺もう腹いっぱいだから、また明日とかにしよう」
「欲無しか! 時間が止まるんだぞ、何でも出来るんだぞ、誰でも一度は妄想した事ある妄想が現実になったんだぞ。それを考えたら普通は幾らでも食いたがるもんだろうが!」
「何を力説してるんだよ」
「お前がそうやって呑気な正直じいさんみたいな態度をしてるとな、まるで俺が欲張りじいさんみたいに見えるんだよ。最後俺だけバチが当たったらどうしてくれるんだ。いいからそれ食べないで待ってろよ」
 木下はそう言うと注文カウンターへ行き、新たなもりそばが乗ったトレーを手に戻って来た。

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