日本人には、『狐や鶴は人間が持っていない力を持っている生き物』であるが、キリスト教圏の人間には、やはり神に似せて作られた人間は特別で、最も優れた生き物ということなのだろう。
太郎は、その価値観の違いを、乗り越えられない壁にしないために、
「日本人だって、動物の肉は食べるけどね。日本人がすべての命に慈悲の心を抱いてるわけじゃない。そもそも武士の仕事は敵対する人間と戦って倒すことだ。人間の命を奪う武士が、小さな虫の命を尊ぶというのは、大いなる矛盾だ」
と、言葉を続けた。
「トンボを助けてやった君の方が、そんな武士よりずっと、小さな命を尊重している」
それが太郎の気遣いだとわかったのだろう。ジョンは困ったように、泣き笑いをしているような笑顔を作った。
「動物は、複雑な損得勘定ができない分、人間より純粋で一途だからな。優しい心を持っているなら、それが人間以外の動物であっても、君だって愛さずにいられないだろう? ペットを家族同様に愛する人は、国を問わずにいると思うし、実際、君は小さなトンボを助けた」」
「トンボや狐だって、神様に作られたものでしょう?」
「それはそうだが……」
太郎と茜に二人掛かりで迫られて、ジョンは歯切れが悪い。
人の価値観というものは、理論、感情、経験等、様々な要因を混ぜ合わせ、時間をかけて熟成されていくもの。よほど 強烈な新要素が加わらない限り、急激に変わることはないのだろう。
茜は、そんなジョンの顔を覗き込み、突然思いがけないことを口にした。
思いがけないこと――だが、それはこの場に最もふさわしい仮定疑問文だったかもしれない。
茜はジョンに、
「もし私があなたに助けられた精霊トンボで、あなたに妻にしてほしいと求めたら、どうします?」
と尋ねたのだ。
「トンボでも、全く構わない。大喜びだ」
それまでの歯切れの悪さはどこへやら、ジョンが即答する。
熟考したとは思えない彼の即答が、女性への礼儀として口にした言葉なのか、本気だったのか、冗談だったのかは、太郎にはわからなかった。
ジョン当人にもわかっていなかったかもしれない。
ジョンの意図がどうであれ、ジョンの即答に茜は笑わなかった。彼女は、真顔で、
「その言葉、神に誓えますか?」
重ねてジョンに問うた。
ジョンも真顔になる。
「……わからない」
抑揚のない声で、ジョンは、今度は本音で真面目とわかる答えを口にした。
「あなたは優しくて……誠実な方ですね」
茜が、静かに微笑む。
その微笑、澄んで一途な瞳に、ジョンが見入っている。不思議で印象的な笑み。
自分にも同じことを訊いてくれないかと、太郎は胸中で願ったのだが、残念ながらその願いは叶わなかった。
ジョンから、茜の連絡先を教えてほしいと、太郎の許にメッセージが届いたのは、太郎がジョンを見送った翌々日。
茜はジョンの友人なのだと思っていた太郎は驚き、『彼女は僕の知人ではない。君の友人だと思っていた』と返信。
太郎は、ジョンに、秋山茜の連絡先を教えてもらうつもりでいたのだ。