小説

『秋の恩返し』川瀬えいみ(『信太狐(大阪府)』)

「仏教も、人間の魂と動物の魂を区別していないね」
 太郎は、茜の告げた事実にもう一つの事実を加え、ジョンに尋ねたのである。
「そういう民話や伝説は、英語圏にはないの?」
 太郎に問われたジョンは、眉根を寄せて、自らの記憶を辿る様子を見せた。
「いい報いを受けるにしても、悪い報いを受けるにしても、相手は妖精や魔法使い相手のものが多いかな。もちろん動物報恩譚はあるけど、それが異種婚姻譚を兼ねるものは、すぐには思いつかない。『長靴を履いた猫』は、自分の飼い主である人間を富ませてやる話だが、猫は猫のままだ」
「あれは動物が人間に恩返しするんじゃなく、猫の方が自分から人間に恩を売る話だよね」
「『美女と野獣』の野獣は、もともと人間で、妖精の呪いで野獣の姿になっていただけ。人間が狼になったり、白鳥に変えられたりする物語は多くあるが、動物が人間になる話はない――人間になることはできない。赤ずきんちゃんの狼が、おばあさんに化け損ねているくらいかな」

季節に抗うように緑色を保って社殿の左右に立つ一対の楠を見上げながら、ジョンが言う。太い幹にしめ縄が張られている、この神社の御神木だ。
「欧米は、呪いや魔法で人間が動物にされる話が多いよね。動物が自分の力で人間になる話は、僕も思いつかない」
自信がなさそうに首をかしげた太郎に、ジョンは頷いた。
「人間は、神に作られた特別な生き物だ」
だから、特別でない動物が自力で人間になることはできないのだ――というのが、ジョンの考えであるらしい。
ジョンは敬虔なキリスト教徒というのではなさそうだが、彼の心にはキリスト教的価値観が沁み込んでいる。
キリスト教圏には、動物神だけでなく、御神木や霊石といったものも存在しないのだろうと、太郎は察した。

一対の楠の間で、太郎は、ふと、中学生の頃、英語の授業での出来事を思い出したのである。二十年以上前のことだというのに、それは太郎には忘れ難いエピソードだった。
『一寸の虫にも五分の魂』を英語では何というか。テキストから離れて、そんな話になったのだ。
英語教師は、『 Even a worm will tum 』だろうと言った。
『手足のない下等な虫でさえ、立ち向かってくる』
「僕は、違うだろうと思った。それはどちらかといえば、『窮鼠猫を噛む』に類する言葉だと」
「A cornered rat will bite a cat 。登場キャラが全く同じ諺もある」
「ああ。まあ、当時は――今もだけど、自分の日本語にも英語にも自信がなかったから、先生に反論することなんてできなかったんだけど」
その後、太郎は、『一寸の虫にも五分の魂』の原典を調べ、それが鎌倉時代の武士が記した言葉だということを知った。命の大切さは人間も動物も変わらないという考えである。

「人間も動物も同じ……」
ジョンは、やはりまだ得心できていない顔をしていた。

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