小説

『名に恥じぬ人生。』松ケ迫美貴(『寿限無』)

 けれど、父上は言いました。
「寿限無よ、こんな名前をつけてしまって申し訳なかった」
父上は、泣きながら言っておられました。
 私はその時、思ったのです。ああ、私はこれから生涯、きっと誰からも本当の名を呼んでもらえることはないのだと。私の名は、父上と母上の恥なのであると。
 私は村を出て、一人で暮らし始めました。人気のない山奥に小屋をたて、そこで、ひっそりと生活しました。山はとても豊かで、食べ物には困りません。私は、偽りの名で呼ばれることよりも、誰からも名前を呼ばれないことを選びました。父上と母上がなんと思おうと、「寿限無」として生きることはお二人から注がれた愛情を否定することのように、私には思えたのです。
 ある日、小屋の中に九官鳥が迷い込んできました。誰かが飼っていたものが逃げてきたのでしょう。とてもかしこい鳥で、「こんにちは」と「おげんきで」という言葉をすでに覚えていました。私は、この九官鳥を飼うことにしました。
 九官鳥は毎日、少しずつ、私の名前を憶えていきました。
「じゅげむじゅげむ、じゅげむじゅげむ」
「寿限無寿限無五劫のすりきれ」
「じゅげむじゅげむごこうのすりゅれ」
「寿限無寿限無五劫のすりきれ、海砂利水魚の」
 私はひたすら九官鳥の前で名前を繰り返し、繰り返し唱えました。元より、独り身のため言葉を発する機会はあまりありませんでしたが、九官鳥が余計な言葉を覚えてしまわないように、私は己の名前以外の言葉を発さぬよう徹底してまいりました。三年かけて、九官鳥は順調に私の名前を憶えていきました。九官鳥は、私に残された唯一の希望のように感じました。神が、私の元に遣わしてくれた救いなのだと、私は本当に信じていました。
 四年目の冬、九官鳥は死にました。
 結局、私の名前は最後まで言えないままでした。それまで毎日必死に私の名前を練習していたはずなのに、九官鳥の最後の言葉は「おげんきで」でした。偶然だったのか、はたまた本当にとてもかしこい鳥だったのか、今となっては分かりません。本来なら感動すべきところでしょうが、正直、その時の私にとっては何の慰めにもなりませんでした。
 私は、希望を失いました。
 父上。母上。以上がすべてございます。私が、この寿限無寿限無五劫のすりきれ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶら小路のぶら小路パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助が、お二人に必ずお伝えしたかった、すべての事の顛末です。
 お二人がこの名に託してくださった願いを裏切るかたちとなり、誠に申し訳ございません。しかし、しかし私は、この名前で生まれ、この名前で死ねることを、大変嬉しく思っております。
 さようなら。お元気で。
 寿限無寿限無五劫のすりきれ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶら小路のぶら小路パイポパイポパイポのシューン

「あっ」

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