小説

『鶴の置き土産』彩原こだま(『鶴の恩返し』)

「夕ご飯はそこにおいてあります。食べた後の食器は水につけておいてください」
 かすれた声で話しました。返事が聞こえたような気がします。しかし、ゆっくりと意識が遠のいていき、何を言っているかまでは聞こえませんでした。
 どれほど眠っていたでしょう。上半身を起こすと、体が随分と楽になったことに気がつきます。
「体調はどうだ?」
 おじいさんは優しげに尋ねます。隣にくると、自分の手を私の額にそっと置きました。
「俺が帰ってきてから、お前は丸一日寝込んでたんだ。……だいぶ熱も下がったみたいだな」
 おじいさんは枕元にある水を私に手渡します。私もそちらを見ると、水の他に薬がいくつもありました。全て見慣れないものです。
「これ、どうなされたのですか?」
「あんまりにも体調が悪そうだったからな。医者に来てもらったんだ」
「そんなお金、うちにはどこにも――」
「売ったんだ。お鶴の布を」
 おじいさんは申し訳なさそうにしながら話を続けます。
「お前が大事にしまっていたのは知っていた。けれど、そうするしかなかったんだ。すまない」
 そう言うとおじいさんは深く頭を下げました。
 私は何をしているのでしょう。おじいさんをこれ以上傷つけないために置いていたお鶴の布を私のために売ってもらって、そのことについて彼は私に謝っている。
 私はおじいさんが傷つく以上に自分が傷つきたくなかったのです。お鶴のことについておじいさんに責められたら、私は何も言えない。私は罪と向き合わずに、逃げることを選択していました。言うことを聞くなんて、ただの自己満足な償いです。おじいさんは自分がしたこととすぐ向き合ったのに、私はなんて情けないのでしょう。
「謝るのは、こちらのほうなのに……」
 自分が不甲斐なくて、涙がこぼれました。それを見たおじいさんは狼狽えます。
「私がお鶴との約束を守っていれば、お鶴は帰らなかったのに。私のせいで……」
溢れた涙は止まりません。顔を伏せると、布団の上にぽつぽつと水滴が落ちました。
「お前のせいじゃない」
 おじいさんがなだめるように私の肩にそっと手を置きました。
「あのとき、お鶴は日に日にやつれていった。それを心配していたのだろう? お前は自分のためだけに約束を破るやつじゃない」
「あのとき、あんなに落ち込んでいましたもの。正直に言ってください!」
「そりゃあ、大切な家族と別れればな。けれど、お前も大切な家族で、妻なんだ。これ以上、家族と別れたくない」
 おじいさんは、私に覆い被さるように抱きつきました。その温かさに、私はまるで子供のように声を上げて泣き始めました。
「もっと早く言ってやればよかった。お鶴がいなくなったとき、責任を感じているだろうと思っていた。けれど掘り返さないほうがいいと考えてしまった。お前だってお鶴がいなくなって辛かったのに、責任感から一度も泣かなかっただろう?」
 頭を撫でながら、おじいさんは言いました。

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