小説

『散る花の願い』五条紀夫(『花咲かじいさん』)

 ここで共に育ってきたその桜は、僕の命の象徴のように思えた。
 願いは、決まった。
 単なる閃きと言ってしまえばそれまでだけれど、この方法ならば確実に父さんに想いを伝えられる、そんな、気がした。
 僕は桜の木に歩み寄り、空を仰いで、願い事を口にした。
「花よ、咲け」
 風が吹く。と同時に、細い枝先に花芽が息吹き、次々と薄い紅色をした五弁の花が咲いていった。
 瞬く間に、辺りは桜に包まれた。
 あでやかに染まる光景を見た父さんは、一瞬だけ目を見開き、それからおもむろに立ち上がって、涙を零した。ただ、その口元は微かに綻んでいた。
「私を励ましてくれているのか?」
 想いは伝わったに違いない。少なくとも、もう父さんは死んだような顔をしていない。生きている。
 僕の役目は終わった。
 そう思った時、父さんが視線を下げて、こちらをじっと見つめてきた。僕の姿が見えているわけがない。だけど、本当に見つめてきたんだ。
 父さんは涙を拭うと、とても柔らかな笑顔を作って、言葉を紡いだ。
「ありがとう。そこにいるんだろ? なあ、ポチ……」
 うん、いるよ。でも、もうお別れだ。
 僕は手を振る代わりに、尻尾を、大きく振った。
 花びらが、舞う。

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