小説

『散る花の願い』五条紀夫(『花咲かじいさん』)

 力のない声でそう訴えると、お爺さんは微笑んだ。
「どうやら顕現を果したばかりのようだね。動け、と願ってごらん」
 言われた通りにする。すると、歩くことができた。
「あ、ありがとうございました……」
 戸惑いながら頭を下げる。お爺さんは小さく手を振った。
「いやいや、大したことじゃないよ。不慣れな霊を見るのは慣れている。こうして知識を授けることは日課のようなものさ」
 改めて、霊、という事実を突きつけられて、自分が死んだことを実感する。
 そんな僕の暗い気持ちを汲み取ったのか、お爺さんは、また微笑んだ。
「少し散歩でもしないか? 道路の真ん中では落ち着かないだろ」
 確かに、車に轢かれる心配はないとはいえ、身体の中を何かが通り過ぎていくのは気分の良いものではない。僕は、お爺さんと共に、歩き始めた。
 道すがら、お爺さんは前を向いたまま隙間を埋めるように話を振ってきた。
「……顕現したばかりということは、亡くなったのは一週間前くらいかな」
「え? 死んですぐ幽霊になるんじゃないんですか?」
「死ぬ間際にね、肉体から命の粒が花弁のように宙へ舞うんだ。その粒が集まって意識を持つようになるまでには、だいたい一週間ほどかかるんだよ」
「とても、詳しいんですね」
「霊になって何十年も経つからね。その間、いくつもの死を見てきた」
「何十年……」
 そう呟きながら辺りを見回す。街にはまだ人の姿が多くある。ただし幽霊の姿は、僕とお爺さん以外、一つもなかった。
「お爺さん、他の幽霊は?」
「もういないよ」
 死後何十年もこの世に居続けるのなら、生きている人間より幽霊のほうが多くても良さそうなものだ。
「消えちゃったんですか?」
「ああ、私たちは生前の残滓だ。いずれは削れて散る」
 言っていることの意味が分からない。僕は黙ったまま首を傾げた。
 お爺さんが、足を止めて、こちらへ向き直る。
「こう言えば分かりやすいかな。生きるという行為はエネルギーの循環だ。摂取して活動をする、その繰り返しなんだ。それに対して私たち霊は、ただのエネルギーの集合体に過ぎない。何かをすれば、その分、身体が削れる一方だ。例えばね、動けと願う、それだけでも消滅へ向かうんだよ」
「でも、お爺さんは何十年も幽霊をやってるんですよね?」
「私は街を歩いているだけだからね。この程度のことなら、そうそう消えはしないよ。生まれ育った街をいつまでも見ていたい。それが私の願いなんだ。やろうと思えば、なんでもできるけれどね」
「なんでも、ですか?」

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