小説

『散る花の願い』五条紀夫(『花咲かじいさん』)

「久しぶりだね。元気にして、いないみたいだね」
 そう言うお爺さんに、僕はすがるように駆け寄った。
 お爺さんはそんな僕に、全部を承知しているかのような笑顔を向けて、一緒に散歩することを提案してきた。
「……君がどうしているか気になったんだ」
 歩き始めると、お爺さんはそう言った。
「よく僕の家が分かりましたね」
「簡単なことさ。君の居場所を知りたいと願ったんだ」
「そんなことをしたら身体が削れてしまうんじゃないんですか?」
「大した願いを叶えなくとも間もなく消える身だ。だったら、最期くらいは、生きてみたいと思ったんだよ」
「生きてみたい? 死んでるのに?」
 尋ねると、お爺さんは僕の目を見てゆっくりと頷いた。
「以前、生きるとは循環だと言っただろ。個体単位で見れば霊は消滅するだけの存在だ。しかし大きな目で見れば、循環の輪の一部とも言える。つまり、君に何かを託すことで、生きていることになるのではないかと、考えたんだ」
「託すって何を?」
「想いだよ」
 そう言い切ってから、お爺さんはすぐ言葉を継いだ。
「家族の死を待ち望むようなことはして欲しくないんだ。それは呪いだ。循環を断ち切る行為だ。君も気付いているのだろ。だからこそ暗い顔をしている。だったら、生きて貰いなさい。そして、生きなさい」
 お爺さんの腕が、パッと輝き、散った。
「だ、大丈夫ですか?」
「どうやら、想いを伝えるという願いが叶ったので、消えるようだ」
 呆然とする僕に対し、お爺さんは笑っていた。笑いながら手を振っていた。
「じゃあ、達者でな」
 短い別れの言葉。
 瞬間、その全身が輝き、舞う花びらのように、ちりぢりに散った。命の粒が飛ぶ。そのうちの一つは、僕の鼻先を撫でていった。
 想いは巡る。巡る限り僕たちは生きている。
 心のうちで自分に言い聞かせるように呟いて、僕は、走りだした。
 家に戻ると、父さんは相変わらず、死んだような顔で縁側に座っていた。
 僕は父さんの正面に立ち、想いを伝えることにした。
「父さん、元気を出して。僕は父さんに笑っていて欲しいんだ」
 ところが、話しかけても反応はない。
「父さん、僕は幸せを与えて貰った。だから、今度は僕が……」
 声は届かない。仮に届いたとしても、想いの全部を伝えられそうにない。
 どうすれば良いのだろう。視線を上に向けて考える。その時、桜の枝が視界に入った。樹齢十数年、ソメイヨシノにしては若いけれど、それは見上げるほどに高く、枝は庭全体を覆いそうなほどに伸びている。いまは落葉して眠りに就いているけれど、それでも、確かな力強さを感じられる。

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