小説

『蟻の恩返し×増殖』五条紀夫(『鶴の恩返し』)

「うううう……お腹が……」
「分かったよ。はい、プリンあげるよ」
 プリンを差し出すと、四匹は満面の笑みを浮かべて帰っていった。

 
「よう、兄ちゃん……甘いもん買い過ぎじゃねえか?」
「ハハハ、食性が違うんですよ」
 翌日、嫌な予感がしたので、朝のうちに買い出しに出向いた。プリンを大量に抱える俺を見てオヤジは怪訝な顔をしたが、いつも通り適当にあしらった。どうせ蟻へのお駄賃だと言っても信じて貰えはしないだろう。
 速やかに買い物を終え、自宅に戻る。
 しばらくすると、蟻たちがやって来た。予感は的中だ。
「先日助けていただいた、蟻です」
 そこには黒い服を着た女性が、八匹、立っていたのだった。

 次の日には、十六匹の蟻がやって来た。

 その次の日には、三十二匹の蟻がやって来た。

 日に日に蟻が増えていく。もう部屋のキャパシティは限界だ。
 三十二匹の蟻を見送った俺は、頭を抱えた。
 連日に亘って念入りに掃除されたことにより、室内の壁は鏡面のように輝いている。床に至ってはスケートリンクよろしく直立が困難なほど滑る状態だ。もはや人の暮らす空間ではない。
 難儀していることはそれだけではなかった。食費だ。すでにプリン代で数万円を失っている。蟻は一つの巣に一万匹以上も生息しているらしいので、そのすべてがやって来たとしたら間違いなく破産だ。
 考えてみると、奴らの目的はプリンに思える。所詮は虫畜生。恩返しという義理のためではなく、食料確保という利益を優先しているに違いない。
 とはいえ邪険に扱うわけにもいかなかった。いまや敵は数十匹。見た目は女性だが、その本性は他の生物をも食らう獰猛な虫。もしプリンという報酬を与えられなければ、俺自身が報酬になってしまう恐れさえある。こんなことになるのなら最初の段階できっぱり断っておけば良かった。
 後悔先に立たず。有効な打開策を思いつかない限り、言いなりになるしかなさそうだ。少なくとも明日の分のプリンは補充しなければならないだろう。
 俺は重い腰を上げ、商店へ向かうことにした。

「このクソガキ! どうしてくれんだ!」
 俺を出迎えたのはオヤジの怒鳴り声だった。
 見れば、いつぞやの少年三人組が怒られている。
「オヤジさん、いったいどうしたの?」
「よう、兄ちゃん。このガキたちが、ジョウロで商品に水を掛けやがったんだ」
 またジョウロで悪戯をしているのかと呆れながら、少年たちのほうを向く。
「君たち、やって良いことと悪いことがあるだろ」

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