小説

『カメはミタ』あきのななぐさ(『浦島太郎(京都府)』)

 そんなとりとめのない思いを抱いていると、囲炉裏で大きく火がはじける音がした。それを契機したのかどうかはわからないが、あの若者が大きく息を吸い込んで、自らの気持ちを絞り出す。

「よっ……。いや、五日……。漁が下手なオラが出来るのはそれが精いっぱいだ……」

 それは魂を絞り出したかのようなか細い声。先ほどの呟きよりも、はるかに細いその若者の声。だが、それが呼び水となったように、村人たちはそれぞれの気持ちを言葉にする。

「なら、そのあとの十日だ」
「いや、それなら――」

 堰を切ったように続く村人たちの声に、私は一瞬その変化に戸惑った。しかし、若者の言葉を皮切りに、それぞれが持っていた気持ちを一気に開花させたのだろう。

 いや、そもそも苗床として、浦島太郎とあの両親だからこそと言えるのか――。

 彼らの日々の行いこそが、この場とこの空気を生んでいた。そして、人間はほんの少しのきっかけで変化する。

 だから、とても興味深い。
 しかも、その瞬間を間違いなく私はこの目で見ることができたのだから、感慨無量の極みと言える。

 いや、まだだった。私はもう一つ、その事を見届ける必要がある。

 その為に、私はまだこの村を観察し続けることにした。

***

 いったいどのくらい月日が流れたのかは覚えていない。だが、その老人となったその人のいでたちを、私は忘れることはなかった。

「おや、爺さん。見ない顔だな? この村に誰かを訪ねてきたのかい? そんな困った顔をみるとほっとけないな」

 人のよさそうな若者が、浜辺で佇むその老人に声をかける。だが、老人の言っている事がよくわからないのだろう。しきりに首をかしげていた。

 若者よ、おそらくその老人もわかっていないのだ。ただ、老人が自分の名を告げたあたりから、その若者の態度が違っていた。

「なるほど、なるほど。爺さん、よくはわからないが、その名前を口にするなら、爺さんはこの村の縁者かそれに連なる者に違いない。その名はこの村では特別な意味を持つ上に大切にされている名だ。しかも、その母親の名まで言えるとなるとなおさらだな。縁者だからこそ、その名を知っているか聞くように言われたわけだな、きっとそうだろう」

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