小説

『夏鶯』草間小鳥子(『見るなのざしき(新潟県長岡市)』)

 ユイはのんきに箸を揃え、
「そうね、ゴミだらけとか」
 と首を傾げた。そんなわけないだろ、いや、あるのか? そういえばユイの部屋へ初めて上がった時、「ここだけは絶対に見ないで!」という開かずの間があった。よくわからなくなって、頭を掻く。「直接お伝えすることが今は叶いませんので」という一文も、妙に引っ掛かる。食事に手をつけられないでいると、お膳を下げに行ったままなかなか戻って来ないユイの、わぁっという悲鳴のような歓声のような声が廊下から響いた。
 駆け付けると、ユイが開け放たれた座敷の襖の奥を指さし、尻餅をついたまま目を輝かせていた。
「うわ……」
 思わず、声が出た。だって、襖の向こうにあったのは、座敷なんかじゃない。スクリーンのように切り取られた、ひとつの風景だったからだ。
 張り替えたばかりの青い畳に、晴れ着姿の子どもらがところせましと駆け回り、松竹梅に万両の枝が枝垂れる床の間には、羽子板、餅花、鏡餅。漆のお重に光るのは、目に鮮やかな色寒天。獅子舞の笛太鼓の音がかすかに響く、お正月の一場面だった。
 隣座敷の襖を引くと、稲荷神社の赤鳥居。座卓に初午の稲荷寿司が並び、「御利生、御利生」の声が飛ぶ。
 三番目の襖の奥、つるし雛の向こうには、金屏風のまぶしい七段飾りがそびえていた。
「お雛様……ここは、三月?」
 ユイが声を弾ませる。なるほど、次の座敷は桜舞い散る花見の風景、隣は五月、端午の節句だった。笹団子にちまきを頬張る袴姿の男の子の前に手をかざすが、見向きもしない。
「これ、VRかな」
「うん……」
 映像にしてはあまりにもリアルで、手を伸ばせば触れられそうだったが、敷居を越えるのは憚られた。襖を開けるたび、言いようもない懐かしさがこみ上げ、それがなぜかもわからないまま、僕は次の襖に手をかけた。
 お盆に十五夜、かいもち(おはぎ)を口に運ぶ人々の袖から微かに漂う稲穂の香り――次の座敷の襖にかけた僕の手を、ユイの手が止めた。
「一番奥の座敷だよ」
 気づけば僕らは、十一間を順に見た後だった。いつの間にか表がどんより曇り、廊下はしんと冷えていた。昼前だというのに、蜩の声が響いた。
 僕は、とうに気づいていた。
「ハルくん」
「うん」
「愛されていたんだね」
 ユイも気づいていた。これまでの座敷の景色はすべて、かつて幼い僕が目にした光景だということ。そして、そのどれもに、いるはずの人がいないということに。
「母さん」
 思ったことが、そのまま口に出た。ユイが、僕を見る。写真で知っていた。心華やぐ祝いの席、小さい僕の特等席はいつだって、母さんの膝の上だった。母さんは、どこにいるんだろう。襖にかけた手に力を込めるが、ユイは両手で制した。
「開けるなって言われたでしょ」

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