口々に言いながら外へ出る。生垣越しに、ぐるり照らされた回廊と障子張りの部屋が並ぶのを眺め、ユイが、ほぅ、とため息をつく。そのうちひとつにパッと明かりが灯り、障子が開くのが見えたので、僕は声を掛けた。
「夜分遅くにすみません、道を教えていただきたいのですが」
しばしの沈黙の後、分厚い木製の門が開き、薄布を被った女の人が現れた。薄布越しの表情は読めないが、ユイの手首よりも節のある、働き者の手をしている。低くかすれた声で、女の人は言った。
「このあたりは沢があって危ないですから、お部屋を貸しますよ。泊まっていらしたら」
どうする、小声で尋ねると、「助かります。お願いします」とユイは進み出た。
「だって、もう1時過ぎだよ」
ユイが言い、宿をとらずに強行軍の行程を組んだ後ろめたさも手伝って、僕は黙って後に続いた。門をくぐると、ふわりと花の香りがした。
鶯の声で目がさめた、ような気がした。身を起こすと、お膳の漬物を齧りながら、「おはよ」、とユイが言った。若草色のワンピース姿。こんな服、ユイは着ていたことがあっただろうか。ふと懐かしさをおぼえたが、つかみ損ねた記憶のように、束の間の感情は胸をすり抜けてゆく。開け放たれた障子から、吹き込む風が頬を撫でる。蝉時雨。暑くなりそうだ。
「ぐっすり寝てたから、起こさなかったよ」
ユイは言い、それからこれ、と紙きれを差し出す。
「お膳と一緒に置いてあったの」
僕は、紙に目を落とした。置き手紙だった。
「おはようございます。屋敷の主人です。朝食のご用意ができましたので、お召し上がりください。ご迷惑を承知で、ひとつ、お願い事がございます。今朝早くから用事があり、家を空けなくてはなりません。ご都合がよろしければ、屋敷の留守番をお願いできるでしょうか」
「日曜だし、お礼もしたいし、私はいいかなって思う」
「留守番って、何をするんだろう」
「大きなお屋敷だから、誰かがいるだけで安心なんじゃない。下の方も読んでみて」
「退屈なさるでしょうから、ご自由に座敷を使っていただいて構いません。ただ、十二ある座敷のうち、一番奥の座敷だけは、決して開けないでいただきたいのです。直接お伝えすることが今は叶いませんので、どうか、何卒——」
僕が黙っていると、ユイが笑いながら肩をつつく。
「ね。ハルくん、奥のお座敷、開けたくなっちゃったでしょ?」
そんなことない、と言えば嘘になるので、代わりに、「おかしくないか?」と言った。
「見られちゃ困るものでもあるのかな。どう思う?」