小説

『乾いた水槽』和織(『夢十夜(第八夜)』)

 まだ続くんですか?と言葉にしそうになったが、鏡越しに男と目が合ったとき、そこに、それまでとは違う印相が芽生えた。訴えかけるようなその表情に、浩太は思わず言葉に詰まる。いったい着地点はどこなのだろうか?
「もう、ペットがいます?」
 浩太の戸惑いという引きを感じ取ったように、男がまた顔を近づけてくる。
「・・・いや」
「もう僕、あそこにはうんざりなんです。カットしかできないけど、一生あなたの為だけにしますよ。どうですか?」
「・・・・いや」
 耐えきれず、浩太は体を離す。男はそんな浩太に、仏のように微笑む。
「考えといて下さい。僕ら、月曜日はいつもここにいるので」
 ややこしいジョークはそこで終わったようで、その後、彼は無言でカットを続けた。浩太は救いを求めるように黒い彼女を鏡の中に探したけれど、もう掃除は終わってしまったようだった。
「こんな感じで、いかがですか?」
 カットを終えた男は、相変わらず体を寄せてくる。でも、髪型自体は悪くなかった。少なくとも、またお願いしてもいいな、と思えるくらいだった。
「いい感じです。ありがとうございました」
 礼を言って、浩太はすぐさま椅子から立ち上がる。
「是非、またご来店ください」
 男が、ネチッこく浩太の肩に触れた。
「はい・・・ありがとうございました」
 その手を肩から引きはがそうとしたとき、斑模様の服の女が、急に浩太と男の間に割り込んできた。
「是非またご来店くださぁい」
 鼻と鼻が触れそうなほど近くて、浩太は思わず身を引く。と同時に、男が彼女をグイッと後ろへ引っ張った。
「すみません、こいつは距離感がわからなくて」
 お前が言うことじゃないだろうと思いながら、浩太は逃げるように店の入り口へ向かった。黒い服の美女は、カウンターに戻っていた。さっさと逃げたいという衝動が、彼女によって霧が晴れるように払拭される。
「あの、あなたも探してるんですか?その・・・飼い主を」
 思わず口にしてしまってから体が熱くなるのを感じた浩太だったが、時はもう戻らない。
「え?」彼女は首を傾げて、視線を彷徨わせる。「ああ・・・・私は、今いる場所、好きです。何も嫌じゃないです。だけど・・・・」
「・・・・だけど?」
 浩太は食い入るように、言葉の続きを待つ。
「ただ、みんなの気持ちを知りたくて」
「みんなの気持ち?」
「どうしてそんなに、あそこを出たいのか・・・・・誰かのものになるって、どういうことなんでしょう」

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