小説

『くつしたをはいたネコ』七海茜(『長靴をはいた猫』)

「あれ、というかこのバスって駒場さんが乗ってくるバスじゃなかったでしたっけ」
 突然話の矛先が向けられたことよりも、その内容に俺の胸はドキリと嫌な音を立てた。
「……えっ、サクラバス?」
「そうそう! 良かったねぇ、今日に限って早めに出勤してきてて」
「本当ですよ、もしかしたらこのバスに乗ってたかもしれませんし」
 社員たちに声を掛けられても、俺はどこか上の空だった。
 俺が今日いつもより早く出勤したのは、ミソが起こしたからで。……もしミソが起こして来なくて、いつも通り出勤していたら。

 ──欲しかったゲーム機の抽選販売で当選したり、卵を割ったら黄身が二個だったり。幸運の形は様々だったが、ミソを引き取る前では経験できなかった幸運が俺の身に起こっていた。
 そして何より、ミソのお陰で俺は事故に遭わずに済んだのだ。大げさだと言う人もいるかもしれないが、俺はそうとしか思えなかった。あの日バスが起こした事故はテレビのニュースにも取り上げられるほど大きく、幸い死傷者は出なかったものの十人以上が怪我を負ったらしい。
 当のミソは今まで楽そうにじゃれついていた猫じゃらしを、急に興味を失ったのか寝転がって視線だけで追い始める。
「ご飯食べるか?」
 にゃう。
 まるで言葉を理解しているみたいに元気よく返事をしたミソが、俺の脚を踏んづけて催促する。
 俺はキッチンの下の収納スペースにしまってある猫用ご飯を取り出した。
「あれ、もうない。ストックも……ないよな。……忘れないうちに買ってくるか」
 今日は休日で、独り身の俺に特別予定はない。
 なうなうと急かすミソに「はいはい」と返事をしながら最後のご飯をエサ皿に出してやり、早速着替えて近くの大型スーパーに向かった。スーパーの中にはペットショップが併設しており、ミソのあれこれは殆どそこで揃えているのだ。
「あれ?」
 陳列棚をいくら探しても、いつものご飯が見当たらない。よく見ると、いつも買っているご飯だけ「欠品中」の紙が貼られている。
 仕方ない。ミソには悪いが他のご飯を買うしかない。買うしかないのだけれど……。
「どれがいいんだ……?」
 今までは実家から持ってきたものと同じものを継続して買っていたため、他のご飯の良し悪しが分からない。
 まぐろ? かつお? チキン? とろみ仕立て? フレーク?
 色んな種類を手に取るほど分からなくなっていく。ここにミソを連れてきて、「どれがいいですか?」と聞けたらどんなに楽だろう。きっとミソのことだから好みのものの前まで行って「なーん」と鳴いてくれるに違いない。
「猫ちゃん飼われてるんですか?」
 突然そう声を掛けてきたのは、店員……ではなかった。ここの店員は揃いのエプロンをしているため一目でわかるが、彼女はそれをつけていない。黒い髪を後ろで束ねていて化粧は控えめで優しそうな笑顔が印象的なその女性は、俺と同じくペット用品を買いに来たお客さんだろう。
「え、あ、はい。そうなんです」

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