小説

『ゼペット爺さん殺人事件』五条紀夫(『ピノッキオの冒険』)

 ノキオが言い切ると同時に鼻がケイジの眉間を目掛けて伸びてきた。ケイジはそうなることを何となしに予想していた。すばやく、かつ大きく、体を後ろへと逸らす。鼻は、目の前を通り過ぎていった。
「ふう」
 と、息を漏らし、体勢を整えてから袖で額の汗を拭う。
「大丈夫ですか?」
「あ? あ、ああ、大丈夫だった」
 ケイジは確信した。鼻とは伸びるものなのだ。そう決めてかかれば対処のしようがある。そこでおもむろに立ち上がり、考える素振りをしながら室内を歩き始めた。ノキオの背後に立ってしまえば鼻を恐れる必要などないはずだ。
 そして、いよいよノキオの背後に到着。改めて質問をしようと彼のほうへ向き直った。ところが、その首はケイジのほうを向いていた。体は姿勢よく椅子に腰を掛けているが、首だけが百八十度後ろを向いていたのだった。
 その視線を避けようと三歩前進。三歩後退。再び三歩前進。ゆっくりと二歩後退。しかしケイジの動きに合わせてノキオの首がクルクルとついてくる。どうやら戦車の砲塔のように首を三百六十度回せるようだ。前進すると思わせて素早く後退というフェイントを入れても、部屋中をダッシュしても、反復横跳びをしても、すべて無駄だった。
「刑事さん、どうしたんですか?」
「あ、え、運動不足を解消しようと思ってね。それにしても首、器用だね」
「はい。取り外しも出来る体質です」
「へ、へえ、それはすごい」
 ノキオの視線を振り切るのは無理そうだ。こいつヤル気だ。先程の質問の答えからすると彼は被害者を嫌っていたと思われる。おそらく被害者も同じような状況に追い込まれ、伸びる鼻でもって殺害されたに違いない。
 そんなことを考えていると、ノキオが惚けた口調で喋り出した。
「そうだ刑事さん、大事なことを伝えるのを忘れていました」
 自供でもする気になったのだろうか。淡い期待を抱きながらケイジは再びパイプ椅子に座った。仮に鼻が伸びようとも避ければ済む話だ。
「で、大事なことって?」
「ぼく、石油王なんです!」
 空気を切り裂く音が響き、生暖かい風が吹く。と同時に、ケイジの背後の壁が粉々に砕け散った。
「は?」
 何も見えなかった。鼻が伸びたのだろうか。
「実はぼくの鼻、嘘が大袈裟なほど伸びる勢いが増すんです」
 やはり鼻が伸びたようだ。
「お、教えてくれて、ありがと。しかも実演付きなんて親切設計だな……」
「いやぁ、それほどでも」
 ノキオはまた後頭部を撫でている。
 察するに先程の鼻の動きは音速を越えていた。もし彼に当てる気があったならば、今頃は刺殺体ではなく、衝撃波によってドーナツ状の死体が出来上がっていたことだろう。伸びる瞬間を目視できないのでは避けるのは不可能だ。
 ケイジは思う。もはや自供を引き出すどころの話ではない。生還することこそ至上命題。

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