小説

『ある山月記 変わらない二人』立原夏冬(『山月記』)

「袁傪、君のどこが龍なんだ。どこからどう見ても、ただの人間だよ。太ったただのおじさんじゃないか。」
 この物言いにイラっとしたのか、袁傪は目をむいて言い返した。
「なんだと。この姿のどこが人間だって言うんだ!つやつやと輝くうろこ、鋭く力強いかぎ爪、美しく伸びた髭、どこからどうみても龍だろう!」
 それでも怒りが収まらないのか、袁傪はさらに声を荒げる。
「ああ、わかった!なら、俺も言うぞ!まったく、零落したあげくにこんな山の中で暮らすお前のことを憐れんで、気を使ってやったのに。お前、全然虎じゃねえぞ。どこからどうみても、ただの人だわ。相変わらず、げっそりした顔しやがって、虎よりも枯れた竹の方が近いんじゃねえか。」
「何を言ってる。僕のこの姿をよーく見てみろ。君こそ、なんだその腹は。おじさんどころじゃない。ぶくぶくぶくぶく太りやがって、龍じゃなくて立って歩く豚になったのかと思ったよ。」
「なんだと!」

 その後しばらく、二人は言い合いを続けたが、次第に言うことも無くなり、無言で睨み合っている時間の方が長くなってきた。すると、袁傪が腰に手を当て、李徴から視線を外し、天を仰いだ。そして一息入れると、語り掛けるように言った。
「李徴、ちょっといったん俺たち冷静になろう。十年ぶりに再会したのに、こんな喧嘩をして何になる。」
 この言葉に李徴も表情を和らげる。
「そうだな、袁傪。我々は…、互いの言葉に耳を向けるべきだろう。なあ、僕はなんだか、自分が間違っているような気がしてきたよ。」
「俺もだよ、李徴。しかし、改めて考えたら君が虎というのは、ぴったりなのかもしれないなあ。君はたしかに剣呑なところがあるが、昔から勇気と強さがあった。」
「それを言うなら袁傪、君が龍というのもふさわしい。君はどこか浮世離れしていたが、いつも鷹揚で王者の風格があった。」
 そこで袁傪は改めて李徴の目をまっすぐ見つめると、一呼吸おいて言った。
「なあ、李徴。思ったんだけど、俺たちは互いに人から虎と龍になった稀有な存在だろ。だから、お互いに人としての姿が見えているだけなのかもしれない。他の人から見たら、君はやはり虎に見えるのかもしれないな。」
「そうだな、袁傪。きっと人からすれば、君は龍に見えるのだろう。」
 そこで二人は、あらためて並んで腰かけると、共に都で働いていた頃の思い出や、ここに至るまでのこと、そして今の生活について話し始めた。

「李徴、いつからここで暮らしているんだ?。」
「この山に暮らすようになってからは、1年ほどかな。この姿になって、何度か兎や鳥を狩ろうとしたのだが、なかなか上手くいかない。だが、この山は果実も多くて、魚が取れる川もあるから何とか暮らしていけている。袁傪、君はどこで暮らしているんだ。龍の食べものは…、何かはわからないが、腹を空かしたりはしてないか。」
「それは心配いらない。うちはこの地方では名の知れた名家でね。家では身の回りの世話をする小間使いもいるし、3食に加えて酒や菓子も供えてくれる。うちの家族は、俺がこの姿になって夢の話をしたら、もう仕事は辞めてなるべく家にいてくれないか、と熱心に頼むんだ。だから、俺は家の守り神として、昼はほとんど家で過ごしている。しかし、早朝まだ人目のない時間には、時々こうして近くを出歩いたりすることもある。そこで、まさか君に出会えるなんてな。こうして再び出会えたのも、まさに天の配剤なのかもしれない。」

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