僅かひと月前に投稿した最新のページには、高級ホテルの一室でシャンパンを手に笑みを浮かべる俺がいた。この笑顔は真の幸せだったのだろうか……
今になって思う。俺にとってのSNSなど自分を誇示するためのツールに過ぎなかった。
相変わらず、眠りにつけば決まって同じ夢を見る。山道の前方を勇ましく駆ける俺。そして、車いすを片手片足で漕いで自走し、険しい坂道を上ろうとするもう一人の俺。離されまいと、追いつこうと必死になるが、その差は広がる一方だった。
現実世界では、かつては一分、一秒単位で動いていた俺が、今は他人の手を借りて車いすに座ったまま移動する。情けなくもあるが、数週間が経つとその生活にも不思議と慣れた。慣れた? いや、現状を受け入れざるを得ない、そう思えるようになった。見栄も虚勢も削ぎ落とされ、肩書きも何もない俺という一人の男だけが残った。
「今日は外に出てリハビリしましょうか? 天気もいいですし。そうそう、今朝、金木犀のいい香りがしてましたよ。私、あの香りが好きなんですよね」
「そ、なんだっ」
理学療法士の河合紗耶という女性。飾らない性格をしている。それは誰に対しても一緒だ。傾眠している高齢者にも、若い女性にも、子どもにも。分け隔てなく、明るい笑顔で同じ対応をする。
そんな彼女と出会ってから、やけに心がそわそわして落ち着かなくなった。しかし、彼女の顔を見るとホッと落ち着く。早く顔を見たいと思うようになる。会えば少しでも長く一緒にいたいと思う。
彼女に褒められたいなどという感情が芽生え、次に会う時までにできることを増やそうと努めた。汗を流して日々のリハビリに励む俺がいた。
右手でご飯を食べること。一人でトイレへ行くこと。相手が理解できるように喋ること。十メートル歩くこと。
数え上げればキリがないほど、これからの人生には、多くの課題と目標が存在している。
「会社を経営されてたんですよね? すごいですね」
俺は左手を横に振った。「それは以前の話で、今は全てを失った」と、伝えたかった。
「自分の力で一から創り上げるって、すごいことですよね。私にはできないなぁ」
その瞳は輝いていた。たとえ建前だとしても、嬉しかった。しかし、同じくらい悲しくもあった。
「私は誰かの人生の中で、少しでも人の役に立つことができればいいなと思って、この仕事を選んだんです」
人の役に立つか……俺の人生で、そんなことを最後に考えたのはいつだっただろう。自分さえ良ければ、それでいい。ただ、それしか考えていなかった。
「こう見えてもホントは、バリバリ営業してたんですよ。どれだけ残業や休み返上で働いたか。当時はお金稼ぐの好きだったから、苦にならなかったんですよね。だけど、ある時、父が病気で倒れて……百八十度、考えが変わりました」
俺は彼女の横顔を黙って見つめていた。綺麗だとか素敵だとか、そういうのじゃなくて。ただ、本当に良い表情をしているな、と心から思った。
「かわぃさん、なら、みんな、よろこばせ、られる」
「すごい! かなり発語が良くなりましたね! さすがお若いから回復が早いです。また、バリバリと働けるように頑張らないとですね!」