小説

『知らすが仏』山賀忠行(『蜘蛛の糸』)

 二人は血の池の底で糸が降りてくるのを遠足の前日の眠れない小学生のようにまだかまだかとじっと待ち続けた。

 それからまたしばらくたったある日、天から光を反射しながら細い糸がゆらゆらとゆっくり下りてくるのが見えた。糸は幸運にも二人のほぼ真上からおりてきた。
「ラッキーだな。俺らのすぐ上に糸がおりてくるかもしれんぞ」
 史郎は手を叩いて喜んだ。糸はじらすようにゆっくりとしかし徐々に二人のもとに近づいてきた。
「そろそろだ。健三から先にしがみつけ。そしたら全力で上るんだ。すぐ俺が続く」
「わかった。まかせろ」
 健三はすぐ掴めるように右手を伸ばして待機した。
「よし行くぞ」
 糸が右手に触れると全身で糸を手繰り寄せ体を持ち上げると素早く上り始めた。少し上ると史郎もそれに続いた。糸は想像以上に細く握りにくかったが二人は両手両足を器用に使って必死に上った。
「よし、そろそろだな」
 数メートルほど登ると史郎は平べったい何かを取り出した。
「史郎、それはなんだ」
 声に気が付いた健三は下を向いて聞いた。
「これは地獄で拾ったただの石同士をぶつけて削って作った石包丁さ。こうするためにな」
 史郎は悪そうな笑みを浮かべると自分の握っている場所より下の糸に石を強く押し当てると切ってしまった。切れた糸はひらひらと落ちて行った。
「こうすれば地獄のゾンビたちはついてこれない。ざまあみろ」
 史郎は石包丁を大袈裟に投げ捨てると得意そうに言った。健三は史郎のずる賢さに驚きながらも喜んだ。
「さすがだなぁ史郎、これじゃあゾンビも糸垂らしている奴もびっくりしてるぜ」
「まあこの世もあの世も頭のいい奴が勝つってことよ」
「頭がいいって……本当に頭がいい奴は事故って死なねえけどな」
「たしかに、はっはっはっは」
 二人は地獄に来て初めて声を出して笑った。絶望の空気が充満する漆黒の無音空間に愉快な笑い声が響かせるのは気持ちがよかった。一通り笑い終えると無言で二人は再び上り始めた。
 行けるぞ、行けるぞ
 心で何度も念じながら不安定な細い糸を一所懸命に上って行った。ふと下を見ると血の池の底に沈む哀れな無数の悪人たちの頭が米粒ほどの大きさに見えた。
 もう少しだ
 全身の筋肉の悲鳴を欲望と希望で無理やり黙らせどんどん上った。天への明るい入口は徐々に大きくなっていく。穴のふちがよく見えてきた。
 あとちょっとだ
 唇をかんで踏ん張ろうとした瞬間――糸はとてつもない勢いで上に引っ張られ二人の体は吹っ飛んだ。
「うわぁっ」

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