小説

『本当の恋人』淡島間(『スカボロー・フェア』)

 いつもと違って、もじもじと落ち着きがなく、ひどく緊張した様子だ。注文を取りに行っても、アイスかホットかで延々と迷い、口の中で何かブツブツつぶやいている。一体どうしたのか。いつもは私を盗み見てにやにやするくせに、今日はろくに顔も上げない。
 さては、と、私は悟った。謝りに来たか。やはり言い過ぎたと、日頃の冗談を謝罪しに来たから、あんなに縮こまっているのだろう。
 マスターに注文を告げながら、許そう、と、私は心に決めた。あの男子は、周りの雰囲気に流されて、つい言い過ぎたと反省しているのだ。田舎者をちょっとからかうつもりで始めたことが、収拾がつかなくなった。それを悔いているからこそ、今日は神妙な顔で、うつむいているに違いない。
 誰にだって弱い心はある。私にだってある。いつまでも嘘をついて文通を続けているが、いい加減、打ち明けなければならないと分かっている。私はみはつではないと。あなたからの手紙が嬉しくて、あなたの恋人のふりをしてしまったのだと。
自分の弱い心を知っているから、私も、この男子の弱い心を許そうと思った。
 端の席にアイスコーヒーを運んで行くと、去り際に、案の定呼び止められた。そらきた、とばかり、私は銀の丸盆を膝に、しゃんと背筋を伸ばし、男子と対峙する。内心では、許そうぞ、と、慈愛に満ちた笑顔を用意していた。
「四月から好きだった。付き合ってくれないか」
 一瞬、頭の中が真っ白になった。が、数秒後には、腑に落ちた。ああ、そういうことか。
「誰?」
「え?」
「誰に言われたの?」
「え……いや、何が」
「これ、罰ゲームなんでしょ」
「え、違」
 皆まで聞かず、私はテーブルの上に置いたコップをひっつかみ、男子に向けてスイングした。黒く透き通った液体は、蒼白な顔と、真っ白なワイシャツを染めた。
「アイスにして正解だったね」
 そう吐き捨てると、踵を返し、店の奥に向かった。
 一体、どこまで私をバカにすれば気が済むのか。好きな女を散々からかって、平気で傷つけて、何が楽しいのか。本当に好きならば、相手のことを考え、思いやるべきだ。心を痛めつけるような、連日の悪口は出てこないはずだ。よくもあんな嘘をつけたものだ。
 後ろから、マスターが追いかけて来るのが分かった。ドアを押し開けた私に続き、飛び込んで来る。
「私、今日で辞めさせていただきます。急ですみません。でも、マスターのコーヒーを粗末にした以上、このままお世話になるわけにはいかないので」
 深々と頭を下げる。マスターはあわてて両手を振る。
「いや、どう見たって、あの男子たちが悪いよ。あいつらが工藤さん目当てで来てるのは分かってたよ? でも、悪ふざけも度が過ぎていた。コーヒーのことは何とも思ってないし、工藤さんが来てくれて本当に助かってるから、とにかく……」

1 2 3 4