「えぇ? そうだっけ? いや俺、正直言うとあんま昨日の記憶ねんだよな」
そう言って先輩はじゃれ合うように俺の肩をワンツーと軽くパンチした。こういう人は本当に狡いと思う。記憶にございませんで済むなら警察は要らない。
「それより今日、たまには食堂で食うか」
「はい?」
「昼だよ昼。胃がぐちゃぐちゃだから栄養摂らねーと」
「……」
お互い夜に金を使うから、いつも昼メシはコンビニのおにぎりが一個か二個だった。それに派遣社員の我々が食堂を使うのは何だか恐れ多い、という不文律もある。
「いや、行かないっす」
「あ? なんで?」
「腹減ってないんで」
「うそーん。お前痩せの大食いで結構食うじゃん」
「何も食べたくねぇっす」
最後の言い方が気に障ったのか、先輩は――というか先輩も、態度を硬化させた。
「なんだよお前。なに怒ってんだよ」
「別に」
「なんだよ。どした。言えよ」
なら言わせてもらうけど、テメェは昨日歩美とキスをしたのかしてねぇのかどっちなんだよ。いやそもそも何でテメェが歩美にキスを迫ってんだよ。俺の気持ち知ってんだろ。酔った勢いで、なんてのは言い訳に過ぎねんだよ。酔うと危ねぇの分かってんだったら最初から飲み方気をつけろよ。お前のそういう無神経なところが俺のハートをどれだけ踏み躙って――。
「なんでもねぇっす」
本音なんか言えるわけがない。本音なんか――。
(4)
「イラッシャイマセ」
いつもの機械音声が俺を出迎える。ランチで入るのはこれが三回目だ。
「いらっしゃいま――」
奥から来た歩美が俺を見て「あぁ」と立ち止まる。俺もなんて言っていいか分からないから、とりあえず「一人で」と指を一本立てた。
「カウンターどうぞ」
客と店員という関係に徹し、歩美は奥へ下がった。歩美と厨房に一人しかいないから、三十席程度の店とはいえ忙しそうである。席につき、妙に緊張しながらメニューを見る。
先輩と食堂で食べることも、おにぎりを買って部署で食べることも体が拒否した。会社から百メートルくらい歩けば歩美が働いている居酒屋に着く。大学はもうゼミ以外授業がなく、月水金はランチとディナー通しで働いていることは予め知っていた。会おう。彼女に。昨日はキスをしていなかった。あの人が勝手に迫ってきて、アタシが避けようとしたら偶然あなたが帰って来たの。そう、言ってくれる可能性を信じてここまで来た。