小説

『キス疑惑』太田純平(『接吻』)

 あらかた麺だけ食べ終えると、俺はチノパンのポケットから小さな包みを取り出した。彼女の誕生日プレゼントにと買っておいた、ブランドものの定期入れだ。彼女は赤がよく似合う。だから色はワインレッド。
 俺はプレゼントをテーブルの上に置いて、代わりに会計伝票を取った。テーブルの片付けをするのはさすがに歩美だろう。ラッピングだってちゃんとしてある。だからあえてメッセージは残すまい。先輩との関係もこじれたし、もうこの店へ飲みに来ることはないだろう。ましてや歩美と連絡をとることも。だからせめて最後ぐらい――散り際ぐらいこうやって、映画やドラマみたいに格好をつけさせてほしい。バースデー、サプライズだ。
 俺は席を立って、レジに向かった。あえて店員呼び出しボタンは押さなかったが、さすがに歩美が気付いて「はーい、ただいま」とすぐに来てくれた。彼女がレジを打つ。会計はちょうど六百円。ピッタリあったので小銭をトレーの上に置く。お互い顔は見ない。さよなら、歩美。さよなら――。
 潔く彼女に背中を向けて去ろうとした時、例の土方のお兄さんの叫び声が店内に響き渡った。
「オイ兄ちゃん! 忘れ物!」

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